特別お題「もしも英語が使えたら」
今週のお題は、株式会社クリムゾンインタラクティブ・ジャパンとはてなブログの共同で、AI搭載の英文校正ツール「Trinka」(トリンカ)に関連する特別お題だそうです。
にしても、いざ聞かれると困りました。
もしも英語が自由自在に使えたら…
英語を自由自在に使えたらやりたいこと
「英語を自由自在に使える」ということで思い浮かぶのは、
英語を日本語のように自分の言葉として会話したり、英文を読み書きできる
ということだと思っています。
それを踏まえた上でやってみたいことを書いていくと…
- 洋書を辞書を引かずに読む
- 洋画を字幕なしで観る
- 洋楽を邦楽並みに歌詞を理解しながら聴く
- 海外旅行に行く
- 海外に住む
- 英語を活かせる仕事に就く
ざっと6つの野望が出てきました。
「洋書」「洋画」「洋楽」は和訳されたものもありますが、以前から和訳に頼らないで自分で理解を深められたら、また違った解釈ができたりと 作品をより一層楽しめるのではと思っているので野望リストに入れました。
「海外旅行に行く」は旅行代理店に頼らずに、ふらっと飛行機に乗って宿泊先を探したり、地元の人がオススメする食堂にふらっと立ち寄ったりして、旅行ガイドブックに載っていないようなところを満喫することです。
「海外に住む」も旅行同様に、自分できちんと手続きを踏んで物件を探したり、日常生活を送ったりしたいということ。
さらに「英語を活かせる仕事に就く」については、解釈問題など難しいことも多いでしょうが洋書の翻訳を仕事にしたり、はたまた日本で働くにしても海外の人を相手に仕事をして今よりもちょっとで良いので生活水準を上げてみたいという野望…ちょっとで良いので!!
書き出すと野望が止まりません。
しかし木暮は英語ができるわけではないので、このままだと野望は野望のまま…
片田舎で育ったけれど英語に触れる機会は多かった
木暮は凄まじいほどの片田舎の出身です。
木暮が幼い頃にはすでに近所(と言っても車で15分)の個人商店が閉店。そこから車で10分のところの生協スーパーも閉店。
木暮が成人するまでに様々なものが閉店していきました。
開店することは稀で、そのなかでも過去記事に書いたTSUTAYAの開店は一生忘れないくらいの衝撃的な出来事でした。(TSUTAYAは現在も元気に営業中!)
さてそんな過疎地トークはここまでにして、英語の話に戻しますと
実は木暮、未就学児の段階でアメリカ出身の人との交流がありました。
木暮の人生で初めてできた友達の父親がアメリカ人で、いつも保育園の帰りの時間に園児みんなに英単語の書いた手書きのカードをプレゼントしてくれ、木暮の英語との出会いはこのときのカードのやりとりでした。毎日保育園に行くのが楽しみで仕方なかったです。
保育園が楽しみというより、その英単語のカードをもらうのが楽しみということの方が近いような…
なにせ保育園の思い出がこの英単語のカードのことしか思い出せないほどですからね…
手書きのカードにはイラストと共に「Apple」→「りんご」のように和訳も平仮名で書いてあって、まだ平仮名も書けない自分にとっては「友達のお父さんってすごい人だ!」という印象でした。
しかし、その友達も小学校に上がるころにはアメリカに旅立ってしまい、それ以降会えたのは一度きり。小学校4年生くらいの出来事でした。
そのときの友人は日本語がほとんど話せないような状態で、コミュニケーションが思ったようにできず、木暮はものすごくショックを受けたのを覚えています。
「言葉の壁」なるものを意識したのはこのときが初めてでした。
それからというもの、人生で初めてできた友達と言葉を理由にコミュニケーションができないということに悲しいやら悔しいやらの感情が湧き、親に猛烈にお願いをして英語教室に通うことになりました。
同じころ、叔父の家が元民宿だということで、地元の大学に留学に来るアメリカ人大学生のホームステイ先になりました。
木暮も休みの日はちょくちょく行って従兄弟と留学生と遊んでいました。従兄弟と一緒に英語を教わったり。あとは釣りとかで遊んだり、従兄弟は野球を教わっていた。
このとき言葉の壁は低く、留学生の日本語力に寄りかかってコミュニケーションをとっていました。
そんななか木暮は、先述のアメリカに旅立った友人が住むユタ州というところはどんなところなのかをその留学生に聞くと、
「日本に比べるとアメリカの国土はとても広く、自分の州以外のところは正直よくわからないんだ」
といったような返答がありました。
思っていた返答ではなかったものの、その返答に続けて「もし興味があるなら、行ってみると良いよ。そのときは絶対に英語が必要になるけどね」という言葉もあり、俄然英語への情熱が燃え上がりました。
その英語への情熱の燃焼は中学卒業まで続きました。
英語に対しての苦手意識が初めてできた
小学校中学年から通っていた英語教室ですが、当時は小学生向けのカリキュラムはなく中学生向けの授業に混ぜてもらっていました。
その時点で少し「思ってたのと違う*1」という意識はありましたが、中学程度の英語だと、まだまだ英語を楽しんで学べていたと思います。
あとは普段交流のない中学生とアニメの話で盛り上がったり、ちょっと特異な小学校時代を送っていたのかもしれませんが、とにかくとても楽しかった。
なので、英語教室では特に英語に対する苦手意識はなく、それは中学入学後も変わることはありませんでした。
むしろ小学校の時点で中学英語を個人的に習っていたので、「今が人生の最高地点か?!」と思うくらい、中学時代は英語の成績がとても高く*2、英語だけなら学年トップでした。英語だけならね…
この時点で、アメリカに行ってしまった友達のこと以上に「英語そのものが楽しい」状態になっていました。
しかし、問題は高校入学後…
入学した高校は自称進学校で、今も続いているのかは分かりませんが、「英語1」〜「英語5」みたいな感じで英語の授業が5種類ある状態でした。
【英語1】中学のように教科書を主体にした授業
【英語2】英検などの資格取得に対応した授業
【英語3】英語で小論文を書く授業
【英語4】大学受験対策授業
【英語5】英語のスピーチ対策に特化した授業
ちょっと記憶があやふやですが、こんな感じの区分だったと思います。*3
英語教育に力を入れている高校ということで進学を決めましたが、いざ入学してみるとしんどかった。土曜の午前中も授業があったり…「なんちゃって漆黒高校」
とにかく英語だけで5つも授業があると、1日の8時間授業のなかに英語の授業が3つ以上あるということも結構あって、宿題が英語だらけでした。
そしてそれぞれに定期テストや提出物があって、他の教科に手が回らないくらいの英語漬けの日々で、これまでの「英語そのものが楽しい」という状態はいつの間にかなくなり、高校卒業の頃には「やっと、この英語漬けの日々から解放される」という意識に変わっていました。
この記事を書くにあたり「(日本の)英語教育」における「詰め込み教育」について批判するつもりはなかったのですが、書いていくうちに今の自分の英語への苦手意識がやっぱりここにあるんじゃないかと思えて、結局書いてしまいました。
高校卒業以降は、燃え尽き症候群的な感じに英語との距離は離れていきました。
そしていまだにユタ州には行けていません。
TOEICなどを受けることもありましたが、そこには楽しいなどの感情は全くないし、結局高校3年間で学んだはずのこともあまり定着していないので、実質的には中学英語で木暮の英語力は止まっていると言っても過言ではないと思っています。
なんだかんだ言っても英語は必要
いくら英語から遠ざかっているとはいえ、現代において英語は必要不可欠なものになりつつあるという状況はなんとなく知っています。
就職活動でもTOEICやTOEFLのスコアが自己PRに使えますし、インターネットの普及で年々、海外との距離は近くなっているように思います。
そして英語は世界公用語としての地位を確立しているので、英語が使えたに越したことがないのもわかっています。
自分が中学英語ではなく「自由自在に英語を使えるなら」と考えると6つの野望が出てきたように、英語が使えるというだけで、できることの幅が広がるのは明白なので、この記事を書いていくうちに、そろそろ高校時代の英語の呪縛から脱出して、離れていた英語との距離を、四の五の言わずに縮める努力をしようかなと思い始めました。
今は簿記の資格取得が第一目標ですが、それを終えたあとは久しぶりにTOEIC受験に向けて動き出そうかと思います。
そしたら6つの野望のうちどれか1つでも実現に近づくのではないか!と前向きな気持ちになったところで、今回のお題の記事はこれにて締めさせていただきます。