『犬のかたちをしているもの』でデビューし、『おいしいものが食べられますように』では第167回芥川賞を受賞した高瀬隼子による最新作。今回は『め生える』の感想記事です。
『め生える』概要
著者:高瀬隼子
出版年月日:2024年1月6日 初版第一刷発行
出版社:株式会社U-NEXT
本の内容
「みんなはげてしまうならいい。一人残らず、一本も残さずに」
髪の毛が根こそぎ抜ける感染症は、いつしか中高生以下を除く全ての人がはげる平等な世界に変えた。 元々薄毛を気にしていた真智加は開放感を抱いていたのだが、ある日、思いがけない新たな悩みに直面し、そのことが長年友情を培ってきたテラとの関係にも影響が及ぼしそうで…。 同じく、予想外の悩みは、幼少期に髪を切られる被害にあった高校生の琢磨にもある。それは恋人の希春と行った占い師のお告げがきっかけだった…。
感想
中高生以下を除く全ての人が禿げるという世界が舞台の物語。
原因の特定には至らず、命にかかわらない感染症ということで人々はその世界に適応して生きていました。
ウィッグを複数持ち、気分や予定ごとに髪型を自在に変える人や、ウィッグなしで生活をする人、坊主頭に見えるようにタトゥーシールや刺青を施す人など、今作では複数の登場人物の視点でその世界での暮らしが描かれます。
それらの視点を見ていくなかで、人々の価値観の不安定さを感じることになりました。
急に訪れた、髪がなくなるという大きな変化。
佐島(さとう)はもともと髪が薄いことをコンプレックスに感じ、大学時代にはそのことで揶揄われることもありました。
傷ついたが、傷ついたと伝えても仕方がない。安易に共感されるくらいなら、笑われる方が呑み込めるかもしれない。徹底的に嫌悪し恨む理由にできる。共感には悪気がない。まるで味方みたいな顔で近づいてくる。おれ、はげってこと結構気にしてて、触れられるとつらいんだよと言うと、そうなんだーおれもひげが濃いのとか気にしてるから分かるわ、などと返される。何が分かるというのだ。同じように容姿にコンプレックスを抱いているから分かるというのか。そんな発想を抱く時点で全然わかっていない。ひげが濃い?ばかか。ひげが生えていてそれが濃いからつらい?ふざけるな。こっちは、生えてこないのだ。生えてこない苦しみだ。何が分かる。何が。分かるはずがない。
(引用)高瀬隼子『め生える』p.8
自分のコンプレックスに安易に踏み込んでこられることへの嫌悪感を心の中にしまっている佐島。
他者の容姿を揶揄するのは私たちがいる現実と地続きの問題だと思います。
髪以外にも体型、顔のつくりについての揶揄を一度も聞いたことがない人はいないのではないでしょうか。
できるなら自分のことでも他人のことでもそういった揶揄は聞きたくないですが、なくなる気配がない根深い問題でもあると思います。
しかし、この物語の世界では全員の髪がなくなるという大きな変化が起こり、髪という点においては、みんな同じ土俵に立つことになりました。
もともと薄毛を気にしていた人も、髪にコンプレックスがなかった人も、等しく髪がなくなりました。
佐島と同じく、もともと薄毛に悩んでいた真智加(まちか)も、感染症が流行し始めた時期に、”まじで、ありえないけど、どういうことなのか分からないけど、どうかほんとうでありますように。”*1、”みんなはげてしまうならいい。一人残らず、一本も残さずに。”*2とみんなが髪を失うことを心の中で祈っています。
その後、感染症が流行し、友人のテラは真智加より先に髪がなくなり、生活も大きく変化しました。
大学時代3日間の休みを取り、それを境に髪がなくなったテラはその後、大学を中退。髪が生える薬を求めて占い師のところに行くなど、さまざまな行動に出て、髪がないことに抵抗しているようにも見えました。
しかしテラとは違い、髪についての行動をしていない真智加には、なぜかふたたび髪が生えてしまいます。
このことがきっかけでテラとの関係の変化を恐れる彼女は、髪が生えてきたことを隠すように生活する一方で、優越感もあったりと複雑な心境のまま生活を送ります。
髪の有無によって立場が逆転しそうな様子をみると、マジョリティとマイノリティの線引きがいとも簡単に変化するのだ、そして世界は流動的であり自分が今いる位置は永遠ではないのだと強く感じました。
位置が変化して安心するのか、困惑するのかはそれまでの考えによって異なる上に、その位置を変える存在は自分ではないことの方が多いと思います。
だからこそ、自分の立場や考えに固執せず、しなやかに物事を見ることができたら良いのかもしれないなと思いました。
余談
今作で初めてU-NEXTオリジナル書籍を手に取りました。
本の形態がペーパーバックで、洋書ならともかく日本の書籍では珍しく感じました。
個人的にはハードカバーの本は表紙が頑丈な分、読みにくく感じていたのでペーパーバック方式での新作発表も良いなと思いました。
U-NEXTオリジナル書籍以外でもペーパーバックが増えたら良いのになと思うほど、開いて読みやすかったです。
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