”笑うな危険”は本当だった
この映画について書くにあたり、Amazon prime videoで無料期間*1に観たときに書いた部分(下書きに入れっぱなしだった)と、今回新たに一部書き加えた部分を合わせて、映画を通して考えたことと感想をまとめています。
ネタバレになりそうな部分は極力書かないように努めたので、説明不足に感じる部分があると思います。
映画『帰ってきたヒトラー』概要
公開年:(ドイツ)2015年10月8日、(日本)2016年6月17日
上映時間:116分
原作:ティムール・ヴェルメシュ『帰ってきたヒトラー』(原題:Er ist wieder da「彼が帰ってきた」)
監督:デヴィッド・ヴェンド
原作はドイツ国内で200万部を売り上げ、「タイムズ」のベストセラーリストでも1位に輝いた風刺小説。
主な登場人物
アドルフ・ヒトラー:1945年から現代にタイムスリップしてきたナチス・ドイツ総統
ファビアン・ザヴァツキ:元テレビ制作会社社員、ヒトラーを主役にした番組制作に積極的
クリストフ・ゼンゼンブリンク:テレビ制作会社社員、ヒトラーをコメディアンとしてスカウトする
フランツィスカ・クレマイヤー:テレビ制作会社社員、ヒトラーの秘書的な役割を担う
カッチャ・ベリーニ:テレビ制作会社社長
あらすじ
1945年に自ら命を絶ったとされるナチス・ドイツの総統アドルフ・ヒトラーが2014年のドイツ(ベルリン)に、突如現れる。
ヒトラーは戦争指導に戻るために総統地下壕に戻ろうとするが、周囲にいる(2014年の)ベルリンの人々が自分を総統であると認識していないことに気づき、情報を得るためにキオスクに立ち寄り、いま自分がいるのが2014年であると気づくが、疲労のため倒れる。
そのキオスクの店主に介抱され、数日をキオスクの新聞を読み込んで過ごすが、同時期にテレビ制作会社をクビになったザヴァツキが、少し前に自分が撮影した映像を見返していると、そこに偶然ヒトラーそっくりの男(ヒトラー本人)が映っているのを発見する。
ザヴァツキはヒトラーの所在を掴み、自主動画を撮るためスカウトする。
テレビ制作会社に戻りたいというザヴァツキの思いと、テレビという媒体をプロパガンダに使えるというヒトラーの考えに利害が一致し、2人はドイツ国内をまわり自主動画の撮影を始める。
そしてその自主動画をもとにザヴァツキはテレビ制作会社へ復職し、ヒトラーはトーク力が評価され、専属コメディアンとしてテレビ番組に出演し、巧みな政治トークにより視聴者の支持を集め、一気に人気者になる。
しかしその後は、ヒトラーが復活してから起こったあるスキャンダルをもとに批判があつまり、ヒトラーは番組を降板することになった。(ここの詳細は割愛します。)
しかし自身の復活談を書いた『帰ってきたヒトラー』を出版し、書籍はベストセラーになる。この本をもとにザヴァツキとベリーニが映画化を企画し、ゼンゼンブリンクはこの企画に賛同し、事態は刻一刻と変化していく。
『帰ってきたヒトラー』予告編(ロングバージョン)
感想
最初は「コメディー」。後半にかけては「完全なホラー」。
というのが、この映画の印象でした。
出だしはコメディー色が強く、ヒトラーが2014年のドイツの生活に適応していく姿や、ザヴァツキの自主動画撮影の段階で、「ヒトラーたる言動」をしていても「コメディアン」であると思い込んでいる周囲の人からは「ヒトラーネタ」として扱われ、娯楽として見られており、真剣に聞いてもらえていないという状況は、ただただ滑稽にみえました。
しかしその状況も後半につれて暗雲が立ち込め、一気に不気味になります。
ヒトラー自身は2014年のドイツの生活に適応してはいたものの、思想や行動は1945年のままで、彼の頭の中までは誰も注視していませんでした。
というか、誰も彼のことを「本物のヒトラーだ」と思うわけもなく、「単なるコメディアンである」という認識でした。
当初は「ネタ」として扱っていたヒトラーの存在が、後半にかけて「ネタ」以上の現実味を帯びた存在になっていき、ヒトラーを見ていた視聴者自身も気付かぬうちに彼の術中にはまっていくという様子は、決して笑えるものではありませんでした。
「この映画、なかなかに面白いコメディー映画じゃん」
と前半を大いに笑って観ていた木暮ですが、後半になるにつれてこの映画のコピー「笑うな危険」をじわじわと思い出しました。
そのコピーには「そういうことか」と納得しながらも、これまで歴史教育を受け、「今の世の中じゃヒトラーみたいな人が現れても、ヒトラーの前例があるんだからそんなに簡単に煽動されたりしないんじゃないか」という思い込みをしたまま映画を観ていたことに気づきました。
その木暮の思い込みに通じるセリフが映画の中で登場し、文字通り鳥肌がたちました。
それはヒトラーが書いた書籍の映画化にあたり、映画撮影をしている場面で発せられた言葉です。
「もしヒトラーが現代に蘇っても大丈夫。私たちは戦後70年歴史をみてきたのだから」
”最初はみんなそう笑っていた”
劇中に登場するクレマイヤーの祖母*2 は、かつてヒトラーがいた時代を実際にみていた人物です。
そのクレマイヤーの祖母は、ヒトラーを2014年という時代で再び目にすることになり、当時のヒトラーに対する大衆の反応を
最初はみんなそう笑っていた
と言います。その描写はこの映画の核心を突いているのではないかと感じました。
ドイツでは現在も当時のヒトラーによるナチズムで起こったことを後世に伝えていっているという状況や、ヒトラーをタブー視していることは言うまでもありません。
この映画の前半部分のザヴァツキの自主動画撮影のシーンは、この映画でヒトラーを演じたオリヴァー・マスッチがドイツの街に撮影に行き、その場にいるドイツ人とアドリブ方式で実際に対話して撮影した映像になっています。
この時の人々の「ヒトラー」に対する反応は、これまでのナチズムやヒトラーへのドイツ人の向き合い方からは想像がつきにくい意外な反応でした。
前述のクレマイヤーの祖母の「最初はみんなそう笑っていた」という言葉から、当時のドイツ人も、この映画内のヒトラーへのドイツ人の反応と同様に、ヒトラーに対してそこまで危機感を持って見ていなかったのかもしれません。
その結果、第二次世界大戦時のようなナチズムの暴挙が起こったのであれば、この映画で描かれていない「その後」はどうなったのだろうかと考えてしまいます。
でもこの不安な気持ちは、映画の中だけでは止まりません。
木暮自身がこの映画の中に登場する人と同じく、映画の前半部分にヒトラーのことを笑って観ていたことを考えると、ヒトラーのような人に対して緊迫感を持って考えていなかったのだと思いました。
でも昨今の世界情勢では、この映画に描かれたような”復活”が別の形で表れようとしているのではないかと思っています。
ヒトラーと一緒くたにすることこそ暴挙かもしれませんが、現実にヒトラーのような独裁者が現れたとき、私たちはその存在にどのように抵抗していくのか。
それを今、考える瀬戸際にきているのかなと思います。
あっさり煽動に乗っかって同じことの繰り返しになってしまうのでは、元も子もないですし、現在実際に、世界ではその流れに乗らないという意思表示もさまざまな形で行われています*3。
なかなか一個人では難しいこともあるとは思いますが、この映画を通して歴史や社会、政治にも関心を持ち続けることの重要性を強く感じました。
この映画については今回記事にしなかった部分でも、ドイツでタブー視されていることがコメディという枠組みでブラックジョーク的に表現されている場面が多々あります。
そして「メディア」という存在が、どのようにプロパガンダに飲み込まれていくのかなど、この映画の不気味さが実感できる部分があるので、観るか少しでも迷っている方や、若干でも気になった方には是非観てほしい映画です。
見当違いや説明不足の部分もあるかと思いますが
以上、この映画から考えたことと感想でした。
原作小説
映画
映画『帰ってきたヒトラー』公式サイト
*1:プライム会員なら追加料金なしで観れる期間のことを指しています。2022年3月19日時点で確認したところAmazon prime videoでの無料期間は終了していますが、レンタルではまだ観れるようです。
*2:彼女の出自については、是非映画を観てください
*3:各地で催されている戦争反対のデモ活動や、その他の関連する動静のこと