今週のお題「わたしのコレクション」
コレクター気質はそこそこあって、これまで色々なものを収集してきました。
プラモデルとかガチャガチャの景品とかご当地キーホルダーとか…
その中でも特に本は、現在進行形でコレクションしていると胸を張って言えるものです。
積読のおおよその状況
自称”積読の猛者”を名乗るにふさわしいのか何なのか、木暮は本をそこそこたくさん持っています。
しかも読んでいる本はそのうちの半分あるかないかで、ほとんどが積読です。
180冊くらいまではカウントしていたのですが、いつのまにか数えることを忘れ、今ではその倍以上はあるんじゃないかと思います。
多分もっと本を持っている人はいると思うので、まあまあ持っているというくらいでしょうか。
今こうして冊数を書いていると「ヒエッ!」と思ったのですが、これは自分の意志で遂行している、いわゆる将来の自分へのミッションなので、積読に対する不安とかは全くありません。
本に執着している理由
本に興味を持ったのは後述で書きますが、小学3年生くらいのときの祖父との あるやりとりがきっかけでした。
しかし小学生の木暮は本を読むと言っても、図書館で借りた本は返却期限の1週間以内に読み切ることが難しく、おこづかいで買うにしても後回しにしたり、なかなか読み進められませんでした。
なので若干ですが、本に対して苦手意識がありました。
そんなとき小学校6年生になって担任の先生が代わり、その先生のアイデアにより本に対する苦手意識がなくなりました。
そのアイデアというのが、どんな本でも1冊読むごとにスタンプを押して、そのカードが1枚埋まる(達成する)ごとに先生手作りのメダルをもらえるというものでした。
過去に何度か書いていますが、木暮は未就学児の段階で小児喘息を患い入退院を繰り返し、かつ運動はこれっきしダメで、何かを表彰されるということが全くありませんでした。
クラスの8割ほどが皆勤賞をとって年度末に表彰されるのをひっそり羨ましくみていて、「自分も何かで表彰されたい」という思いから、この時の担任の先生による企画に挑戦しようと決意しました。
そして先生からのアドバイスで、最初は文字の多い漫画(偉人の人生についての漫画)とか、『幽霊屋敷レストラン』のような本を読み始め、徐々に読むスピードも上がっていきました。
そうしているうちに気づいたら本に対する苦手意識が薄れて、
これまで1週間で読みきれずに苦い思いをした本も1週間以内に読めたり、何度かカードを更新していく中でその都度、メダル授与式を経験できました。
そういう経験の中で、これまでの自分への後ろ向きな気持ちが前向きになっていきました。
端的に言うと、この本に関する経験で自己肯定感が若干でも高まったのだと思います。
積読を解消しない理由
以前、小学3年生くらいのときに祖父が本棚の前に本を積んでいるのをみて、祖父に「こんなに本があってどうするの?」と聞いたことがありました。
祖父は苦笑いをして「これは爺ちゃんがもっと歳をとって、家に篭るようになった時のために蓄えているんだ」と話してくれ、当時小学生だった木暮はいわゆる「老後」のことは全く頭の中になく、老後のことを念頭に生きている祖父の考えに衝撃を受けました。
現在89歳の祖父は、ときどき昼寝をしたり本を読んだりして元気に過ごしています。
なんなら最近買った本の話さえしてくれるなど、まだまだ衰えは感じません。
木暮は、前述のように小学6年生から徐々に本を読み始め、本への苦手意識はなくなるだけにとどまらず、通学の電車内も休み時間も朝のHRの時間もずっと本を読んでいるくらい、歳を重ねるごとに本との距離が近くなりました。
大学進学から専門書を始めとする様々な本に出会う機会が増え、バイトなどをしたり就職したりで、ある程度自分でお金の管理ができるようになってからは、本に対する支出が増えました。
今ではひと月に2万円弱の支出をしています*1。
木暮の財布は常に火の車なので、他の部分で皺寄せがきているんですけど…
読むスピードと買うスピードに差が出始めたのは、就職した1年目からです。
当時は本当に骨身を削って労働に耐え、それで得たお金を握りしめて本屋に駆け込み、気になった本を買うことでストレス発散をしていました。多分このときは本限定の買い物依存症だったのだと思います。あ、今もか…?
そしてその職場から別の職場に転職し、心と時間に余裕が出てきたころには時すでに積読が進み、読んでいる本以上に未読の本が増え、手が付けられない状態になっていました。
しかも、最初の職場にはなかった「ボーナス」というものがあり、ボーナスを駆使してストレス発散ではなく気になる本を前向きに買うようになっていました。
おそらくほとんどの人はこのような積読の状態に気づいた段階で、本の取捨選択をして積読の消化に至るのだと思うのですが、このとき木暮はある言葉を思い出し、積読消化を見送りました。
それはかつて祖父が言っていた「もっと歳をとって、家に篭るようになった時のために蓄えているんだ」という積読本への言葉です。
「自分に都合の良い思い出し方だな〜」と、いま書いていて思っているのですが、
「かつて自分が苦しんで働いた時のお金で買った本をどうしても手放すことができない」という、どんな感情かもわからない思いや、
祖父の言葉のように今後の”蓄え”として積読を解消しないという思いだったり、
現実面での「絶版本になる前に手に入れておこう!」という出版業界への思いなどから本を入手し続け、現在では積読本は半ば「コレクション」のような形で残しています。
正直言うと、自分が何歳まで生きるのかはわかりませんし、今の祖父のような老後が訪れるのかは不安なところがあります。もらえる年金額も年々減っていってますし…
でも自分が年老いたとき、財布が火の車の状態で過ごすことになっていても、近くに寄り添ってくれるもの、すなわち本を将来の自分への土産として持っていく現在の自分に課せられたミッションだという気持ちで過ごしています。
「今週のお題」に乗っかって、いかに積読を正当化しているかを長々と書いてきました。
順番に読み進めつつ、どうしても面白味を感じなかった本は手元から旅立たせていますが、おそらく今後も積読の先頭に追いつくことはないでしょう。
本当に積読が消化されるのは晩年になってからかな…そうだといいな…*2
以上、現在 終わりなき積読の中にいる自称”積読の猛者”木暮の話でした。
さいごに『幽霊屋敷レストラン』を少し紹介。
全13編の怖い話が収録。小学6年生の自分でも夢に出てきたのを記憶しています。
小学生以来読んでいないけれど、久々に読んでみようかなと思いました。
*1:余談なのですが、気になって調べたところ総務省統計局の「読書に関する支出調査」(2017年までのデータ)で2017年時点の1世帯の雑誌や書籍の「年間支出額」は10,628円でした。意外と少なくて驚いた…
祖父と木暮だけでいったい何世帯分の本の支出をしているのか……ヒエッ!
*2:祖父が積読の地盤を築いてきてくれたおかげで、本の収納スペースは十分に確保できていますが、このままのペースだと晩年までに積読消化のタイミングがきそう…