やおら日記

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【小説】村田沙耶香『地球星人』感想

 

今回は以前、『コンビニ人間』の感想記事を書いた村田沙耶香さんの著作『地球星人』の感想記事です。

 

文庫版の帯にあった「芥川賞コンビニ人間』を超える衝撃!」は本当にそうだった…

 

 

『地球星人』概要

作者:村田沙耶香

出版年月日:2018年8月31日*1

出版社:新潮社

 

著者について*2

村田沙耶香(1979−)

日本の小説家。エッセイスト。2016年に『コンビニ人間』で芥川賞を受賞。

大学時代に小説に向き合うため、コンビニエンスストアでアルバイトを開始し、2016年の芥川賞受賞後もしばらくアルバイトは継続していた。

 

あらすじ

恋愛や生殖を強制する世間になじめず、ネットで見つけた夫と性行為なしの婚姻生活を送る34歳の奈月。夫とともに田舎の親戚の家を訪れた彼女は、いとこの由宇に再会する。小学生の頃、自らを魔法少女と宇宙人だと信じていた二人は秘密の恋人同士だった。だが大人になった由宇は「地球星人」の常識に洗脳されかけていて……。

(引用)村田沙耶香 『地球星人』 | 新潮社

 

感想

コンビニ人間』がライトならば、『地球星人』はダークだと言いたい。

 

読んでいくと『コンビニ人間』の並行世界なんじゃないかと思う今作は、主題は『コンビニ人間』の頃と共有されていますが、帰結の仕方がまさに「衝撃作」でした。

 

たいていの宣伝文句で見かける「衝撃」という表現が、内容に当てはまる例をひさびさに経験したと思っています。

 

 

さて、物語は小学生時代の主人公・奈月が家族とお盆に里帰りをするところから始まります。

 

秋科という田舎への里帰りで見える家族間の関係性や、奈月が家族との間に抱えている感情が、じわじわと伝わり、いとこの由宇と奈月は周囲と共有できない感情を共有し、「なにがあってもいきのびること」という誓いを立てます。

 

お盆に親戚が集まる様子や、それぞれの居住地での家族関係は一般家庭そのものですが、どこか歪な雰囲気が拭えません。

 

奈月と由宇がなぜ、小学生の時点で「なにがあってもいきのびること」を誓っているのかを家族という側面と、社会から求められる個人の役割という側面から徐々に迫っていきます。

 

今作でも主人公は社会(地球星人)の規則に対して純粋な疑問を持ち、自分なりの方法で向き合っていきますが、その向き合い方が周囲の大人や友人たちの常識とは大いに異なり、周囲に擬態するどころか逸脱していきます。

 

まさに「地球星人」になりきれない奈月は、『コンビニ人間』で周囲を模倣して”世界の正常な「部品」”として生きようとした主人公・古倉に通じるものがありました。

 

今作では奈月は自分を地球星人ではない存在として認識し、自分を宇宙人だと思っている由宇は”秘密の恋人同士”になり、それらの感覚を唯一共有する存在として小学生時代の奈月の精神的支えになっていました。

 

しかし、その関係も長くは続かず、奈月は由宇とは離れた場所で、自分の身体が自分のものではなくなっていく感覚に襲われていきます。

 

周囲の常識に対して疑問を持ち続ける奈月は、周囲からの目線”『工場』の目”から上手く”すり抜け”る方法を模索していきます。

 

ここは巣の羅列であり、人間を作る工場でもある。私はこの街で、二種類の意味で道具だ。

一つは、お勉強を頑張って、働く道具になること。

一つは、女の子を頑張って、この街のための生殖器になること。

私は多分、どちらの意味でも落ちこぼれなのだと思う。

(引用)村田沙耶香『地球星人』(新潮文庫)p.54

 

引用文の「ここ」「この街」は奈月の居住する千葉の街を指していますが、おそらくどの場所でも、人間が生きている場所ならば当てはまると思います。

 

それらの目からすり抜ける方法として34歳になった奈月は、条件に見合った男性と結婚をしますが、”「工場」の目”は、甘くはありません。

 

結婚した上で子供がいないことを、これでもかと周囲が深入りしてくると、徐々にすり抜けの方法が効かなくなり、逃避としてふたたび秋科の家に夫婦で行くことに。

 

そこで再会した由宇は、かつて地球星人とは相入れない感覚を共有していましたが、いつのまにか地球星人としての常識に洗脳され生きていました。

 

奈月もその洗脳を望みますが、奈月に対する地球星人からの洗脳はなかなか上手くいかない…

 

まるで「工場」の部品のように扱われる自分の身体を、自分の思うように自由に使いたいと思う奈月と夫の智臣は由宇にもその感覚を共有しようとします。

 

中でも特に印象的だったのが、智臣が”「工場」の目”に対して感情をむき出しにした際の言葉です。

 

「見たか、あの女の目を!? 狂ってる。まるで僕たちを罪人のような目で見て、『今なら許してあげる』と言わんばかりだ。何で僕が、僕であることを許されなければいけないんだ。まっぴらだ!」

(引用)村田沙耶香『地球星人』(新潮文庫)p.207

 

たしかに地球星人(工場)からの目や常識からすると、「自分であること」は他者からの視線や社会の一部としての立ち位置によって決まることは多いと思います。

 

コンビニ人間』では古倉が”世界の正常な「部品」”になることを望みますが、『地球星人』では「部品」になる未来を徹底的に拒絶します。

 

その結果があまりにも衝撃的で、『コンビニ人間』とは大きく異なる帰結で、まさに狂気。

 

コンビニ人間』を読んで『地球星人』をまだ読んでいないという方は、ぜひ読んでほしいと思います。また、今作に興味があって、『コンビニ人間』を読んだことがない場合は『コンビニ人間』を先に読むことをおすすめしたいです。その方が狂気に耐性がつくかも…

 

 

ちなみに個人的な感覚としては、浅野いにおおやすみプンプン』や押見修造『血の轍』に近い雰囲気があるので、そちらの作品に耐性がある人にはもってこいの作品だと思っています。ま、あくまで個人的な感覚の話なので…

 

とはいえ先が気になり、読む手が止まらないという不思議な作品だったので、一気に読んでしまいました。

 

関連サイト

www.shinchosha.co.jp

 

関連記事

同著者による小説『コンビニ人間』の感想記事です。

yaora-diary.com

 

*1:本記事は2021年4月1日発行の文庫版を読んだ感想記事になります。

*2:村田沙耶香 - Wikipedia参照。最終閲覧日:2023年2月12日