やおら日記

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【エッセイ】クレア・キップス『ある小さなスズメの記録』感想

 

1940年代のイギリスで実際にあった人間とスズメの生活の記録。

 

記録というか追憶のような、あたたかな本でした。

 

 

『ある小さなスズメの記録』概要

著者:クレア・キップス (訳)梨木香歩

出版年月日:2010年11月10日*1

出版社:文藝春秋

 

あらすじ

小さな生き物への愛情と尊敬に満ちた奇跡の実話

第二次大戦中の英国でひ弱な雀が寡婦に拾われた。雀は愛情を込めて育てられ、驚くべき才能を開花させる。世界的ベストセラーの名作。

(引用)文春文庫『ある小さなスズメの記録 人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクラレンスの生涯』クレア・キップス 梨木香歩 酒井駒子 | 文庫 - 文藝春秋BOOKS

 

感想

イギリスのプロピアニストのクレア・キップス(1890−1976)の身に実際に起こった、スズメとの出会いから別れまでを記録された本著は、1953年にイギリスで出版されて以降、世界中で翻訳出版されるなど、国境を超えて読まれました。

 

日本では過去にも翻訳出版され、今回読んだ文春文庫版では『西の魔女が死んだ』等の著作で知られる梨木香歩さんによって翻訳されました。

 

 

キップス夫人によって書かれたイエスズメクラレンス」の生涯は、おとぎ話のようで、「記録」という体裁でありながらも追憶ともとれる文章で、クラレンスとキップス夫人の暮らしをあたたかい気持ちで見守るように読み進めていきました。

 

 

 

クラレンスとキップス夫人の出会いは1940年7月初めのことでした。

 

キップス夫人が帰宅すると、数時間前に生まれたばかりと思われる瀕死状態のスズメが玄関前に横たわっており、すぐさま炉辺にて体を温めるなどの蘇生を行い、翌朝には不安定な状態を脱し容体が回復していきました。

 

しかし、そのスズメの左足は正常ではなく変形した蹴爪もあるなど、自然界で生きていくにはあまり良い条件ではなかったようです。

 

そんなスズメに「クラレンス」という名前をつけ、キップス夫人はともに生活を始めます。

 

そしてその出会いから半年後にはクラレンスは歌を歌い始めました。

 

プロのピアニストであるキップス夫人がピアノを弾くと、それに呼応するかのようにクラレンスが歌い出し、自宅で少しのコンサートも行うほどでした。

 

もし私がかつてプロの音楽家で今でもレッスンを続けているという身でいなかったとしたら、彼は歌うことを始めただろうか?私はしばしば自分にこう問いかける。

(中略)

私には分からない。ただこれだけははっきり言えるのは、全てのけものや鳥たちには知性が潜んでおり、人間から与えられる愛情や友情の絆の強さによって、差はあるにしても、それを伸ばしていけるということである。

(引用)クレア・キップス『ある小さなスズメの記録 人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクラレンスの生涯』(文春文庫)、p.71

 

クラレンスが歌い出したこと、そして何より、キップス夫人のもとに辿り着き共に生活をするようになったことも、何もかもが偶然の重なりで起こったことであることは忘れられません。

 

そしてクラレンス自身が生きていく中でそれらの偶然を謳歌している様子が伝わってきて、彼がキップス夫人と過ごした12年と7週と4日がどれほどあたたかい日々だったのだろうと思いました。

 

 

それとともに、自然界で生き延びるのが困難に思われたクラレンスが、キップス夫人のもとで自分の生き方を見つけていく姿は、人間に通じるものを感じました。

 

 

しかしクラレンスが11歳を過ぎたころには足が弱りはじめ病気に倒れ、部分的な麻痺を患いました。そしてキップス夫人の看病を受け入れ、回復へと進んでいく様子から、クラレンスには生きる意思が明確にあるのだと文章からもひしひしと伝わってきました。

 

 

そういった状況下でも決して悲観せずに、部分的な麻痺も自身の工夫によって乗り越えていったクラレンス。

 

その頃にはすでに彼が歌うことはなくなり、まるで子どものようにキップス夫人に甘え、以前よりも長い時間を眠るようになっていました。

 

何にもまして私が寂しく思ったのは、彼の歌がもう聞けないことであった。これはほんとうに寂しいことだった。彼の歌は長い間、私の誇りであり喜びであった。けれど、病気の後、彼は二度と歌うことはなかった。

(中略)

だが、この章の終わりにあたって記しておきたい、とても興味深いことがある。歌は忘れたものの、彼はまだおしゃべりは十分でき、よく彼の小さなベットの中からも私に話し続けた。何を伝えようとしていたのかはよく分からなかったが、頭の中は歳を重ねた者のみが知りうる智慧でいっぱいの、いっぱしの哲学者のようであった。

(引用)クレア・キップス『ある小さなスズメの記録 人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクラレンスの生涯』(文春文庫)、pp.135-136

 

 

晩年の病から立ち直ろうとするクラレンスの姿と、幼少期からクラレンスをみてきたキップス夫人による追憶ともとれる「記録」は切ないけれど、生きることを謳歌することがどういったものなのかのひとつの例を見せられたようでもありました。

 

 

晩年にクラレンスは「歳を重ねた者のみが知りうる智慧」をキップス夫人に残したかったのかもしれないし、キップス夫人はそんな彼の生きた証を本という形で残したのだろうと感慨に耽りました。

 

関連サイト

books.bunshun.jp

*1:今回の記事では2015年1月10日発行の文庫版を参照しています。