世界的な女性指揮者リディア・ター(ケイト・ブランシェット)の立場の変容と、その原因を辿っていく物語。
『TAR / ター』概要
公開年:(米)2022年10月7日、(日)2023年5月12日
上映時間:158分
監督:トッド・フィールド
あらすじ
リディア・ター(ケイト・ブランシェット)に、叶わぬ夢などなかった。アメリカの5大オーケストラで指揮者を務めた後、ベルリン・フィルの首席指揮者に就任、7年を経た今も変わらず活躍する一方、作曲者としての才能も発揮し、エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞、トニー賞のすべてを制した。師バーンスタインと同じくマーラーを愛し、ベルリン・フィルで唯一録音を果たせていない交響曲第5番を、遂に来月ライブ録音し発売する予定だ。加えて、自伝の出版も控えている。
また、投資銀行家でアマチュアオーケストラの指揮者としても活動するエリオット・カプラン(マーク・ストロング)の支援を得て、若手女性指揮者に教育と公演のチャンスを与える団体「アコーディオン財団」も設立し、ジュリアード音楽院でも講義を持つことになった。
そんな超多忙なターを公私共に支えているのは、オーケストラのコンサートマスターでヴァイオリン奏者のシャロン(ニーナ・ホス)だ。彼女はターの恋人で、養女のペトラを一緒に育てるパートナーでもある。さらに、ターの副指揮者を目指す、アシスタントのフランチェスカ(ノエミ・メルラン)も、厳格かつ級密なターの要求に応えていた。
誰もが自分に従う王国に君臨するターだが、このところ新曲の生みの苦しみに頭を痛めている。仕事部屋に独りでこもり思索に没頭していたターは、どこかの部屋からかそれとも幻聴なのか妙な音が聞こえるようになる。同時に交響曲第5番のリハーサルも始まるが、ターが要求する水準はこれまでより遥かに高く、彼女の思う演奏にはなかなか辿り着かないことにも焦っていた。
(引用)映画『TAR/ター』公式サイトより一部抜粋して引用
感想
2023年の上半期に公開した今作は映画館で観ることが叶わなかったため、レンタルDVDでの鑑賞になりました。
ちなみにレンタルDVDでは日本語吹替がなかったので字幕で鑑賞しましたが、難解な内容だったこともあって日本語吹替でも観たい作品だと思っています。
今作では世界的な指揮者リディア・ター(ケイト・ブランシェット)が、その立場に甘んじて自分で自分の首を絞めてしまう様を、ある種の狂気じみた展開でみせられました。
今作に対しては『ブラック・スワン(2010年)』と『セッション(2015年)』で描かれたような狭い世界に漂う狂気を感じました。
その上で、狭い世界で起きたはずのことが大衆に溢れ出て、断罪されていく過程も描かれたことで、上記2作とは一線を画した印象を受けました。
物語序盤でターがニューヨークでおこなった対談公演の様子が見せられます。
そのなかで司会者によって現在のカリスマ的な地位に至るまでの彼女の輝かしい経歴が紹介され、そこからターの指揮者としての考えや今後の展望などが語られていきます。
このときの対談は今作全体に大きく影響を及ぼす内容であり、後半の展開やターの言葉それぞれに違和感を残すという役割を担っている印象を受けました。
特に対談の中で語られた「時間」についての考え方は彼女の考えの根底にあるものを表しているように感じました。
時間を止めることは出来ないのが当たり前だと思いますが、指揮者はその常識を覆す存在であり、まるで神のような立ち位置にいることが示されます。
全ての物事を自分のコントロール下に置くことのできる絶対的な存在として彼女は実際に、さまざまな人を従わせていることが、徐々にわかっていきます。
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の女性初の首席指揮者として若手女性指揮者の育成などにも力を入れてきたターは、プライベートではパートナーのヴァイオリン奏者シャロン(ニーナ・ホス)とともに養女のペトラを育て、自身が同性愛者であることも世間に公表しています。
その上で彼女は若い女性指揮者との間でトラブルを抱え、そのことが原因でこれまで築いてきたキャリアなどが崩壊へと進んでいきます。
その女性指揮者とのトラブルとは、権威が絡む世界では往々にして起こってきたことであり、昨今の芸能界などにおけるハラスメント問題に関連する問題でもあることから、特に珍しいものではないように思います。珍しくあって欲しいですが。
しかし、その問題についての視点が権威側にフォーカスされている点は今作ならではだと考えました。
内容は全く同じわけではありませんが、『セッション』のフレッチャー側の視点で物事が映し出されているという感覚でした。
冒頭の対談から指揮者としての信念や作曲家としての大変さ、家族の問題などを見て、カリスマ的な指揮者の苦悩を知った上でその後の展開を観ていくと、ターに対して「かわいそうだ」とさえ思ってしまいました。
しかしそれと女性指揮者との問題とは切り離して考えるべきところであり、そこの論点の整理は忘れてはならないと思いました。
仮に視点を変えて女性指揮者側から見せられたなら、ターに対して「かわいそう」なんて感情は1ミリも持たないだろうと思いますし、このような視点の固定についての危うさは今年公開の映画『怪物』にも通じそうだと思いました。
その他、絶対的な地位にあるターの詰めが甘いと感じる場面が多々あり、その地位にいるからこその傲慢さによって、目を向けなかった部分も大いにあるのだろうなと考えを巡らせました。
そして彼女の周辺にある雑音が彼女の活動や生活を邪魔している描写は示唆的でもあり、作品全体を通してターと音の関係の変化が面白かったです。
指揮者の物語ということでクラシック音楽を知らない木暮は身構えましたが、そんなに構える必要はないほど作中でそれとなく説明がされたので、鑑賞していて苦に感じる場面はありませんでした。また、説明といっても映像での説明が主だったので、説明セリフなどは特になかったように思います。
この映画はハッピーエンドかバッドエンドか
今作の公式サイトには「この映画のラスト、どう見た?」というページがあります。
今作のラストはハッピーエンドなのか、バッドエンドなのか。
ネタバレを含むので、下のリンクをクリックする際はご注意ください。
木暮も考えてみましたが、結論としてはハッピーエンドだと思いました。
誰にとってもハッピーエンドという感じです。
ターにとっても、それ以外の人物にとっても。
ター自身は地に足がついた感じだし、ある意味で指揮者としての時間をコントロールしたとも取れるかなと思いました。
曲がりなりにも指揮者には変わりがないですからね。
でもバッドエンドだと考える人の意見も納得できるので、結論を出したとはいえ微妙に揺らいでいます。
余談
今作を鑑賞している途中まで、リディア・ターを実在の人物だと勘違いしていました。
実在していると感じるほどのリアリティのある人物像だったこともあって、今作が実話じゃなさそうだとわかってからは、謎の安心感がありました。
とはいえ、今作で描かれたようなハラスメントは現実にまだまだあるので、安心はしていられませんね。
全くの余談なのですが、今作を観る前に2022年公開の映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』を鑑賞したこともあって、今作に登場したマーク・ストロングを最後までスタンリー・トゥッチだと勘違いしていました。
そのため、今作を観終わったあとに両者の出演作品一覧を見てみたら、2017年公開の映画『美女と野獣』のマエストロもマーク・ストロングだと勘違いしていたことがわかり、これまでマーク・ストロングだと思って観ていたキャラクターがスタンリー・トゥッチだったのかもしれないと不安になってきました。逆もありそうで自分の視覚がこわい。