やおら日記

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【洋画】『ソーシャル・ネットワーク』感想

 

ソーシャル・ネットワーキング・サイト『facebook』創業と、それに伴う訴訟を軸に描かれる2010年公開の伝記映画。

 

 

ソーシャル・ネットワーク』概要


www.youtube.com

公開年:(米)2010年9月24日*1/2010年10月1日、(日)2010年10月23日*2/2011年1月11日

上映時間:120分

監督:デヴィッド・フィンチャー

原作:ベン・メズリックfacebook 世界最大のSNSビル・ゲイツに迫る男』

 

あらすじ

2003年。ハーバード大学に通う19歳の学生マーク・ザッカーバーグは、親友のエドゥアルド・サヴェリンとともにある計画を立てる。それは友達を増やすため、大学内の出来事を自由に語りあえるサイトを作ろうというもの。 閉ざされた“ハーバード”というエリート階級社会で、「自分をみくびった女子学生を振り向かせたい」―そんな若者らしい動機から始まった彼らの小さな計画は、いつしか思いもよらぬ大きな潮流の最中へと彼らを導く。 IT界の伝説ナップスター創設者のショーン・パーカーとの出会い、そして、社会現象を巻き起こすほどの巨大サイトへの成長。 一躍時代の寵児となった彼らは、若くして億万長者へと成り上がっていく。 と同時に、最初の理想とは大きくかけ離れた孤独な場所にいる自分たちに気づくが―。

(引用)ソーシャル・ネットワーク | ソニー・ピクチャーズ公式

 

感想

ベン・メズリック著『facebook 世界最大のSNSビル・ゲイツに迫る男』を原作に、マーク・ザッカーバーグfacebook立ち上げに至った背景に迫る作品。

 

脚本製作段階でザッカーバーグ本人に取材して製作がされたわけではないので、多少の脚色が入っているようです。

 

ザッカーバーグジェシー・アイゼンバーグ)を訴えた共同創業者のエドゥアルド・サベリン(アンドリュー・ガーフィールド)や、ハーバード大学の先輩ウィンクルボス兄弟(アーミー・ハマー)目線が強い部分もあって、ザッカーバーグの人物像については客観性の強い伝記映画だと思います。

 

 

物語は2003年当時の19歳の彼と彼女エリカ(ルーニー・マーラ)の会話から始まります。

 

その会話内容の馴染みのなさと話題の切り替えの早さから着いていくのが大変でしたが、この会話を逃すとのちの流れと登場人物の感情や考えを掴みにくいと思うので、冒頭の会話シーンからも気が抜けない映画でもあります。

 

この会話シーンではザッカーバーグがどういう人間なのかが如実に表れ、エリカの表情の曇り加減や、2人の関係の悪化具合などさまざまな要素が盛り沢山のシーンです。

 

特に馴染みの薄さでいくと、アメリカの大学におけるクラブによる格差という部分でした。

 

facebookの共同創業者のサベリンは”フェニックス”というファイナルクラブに入るテストを受けられるようになったことや、それらのクラブの外部の人間への排他性が強い部分が見て取れますが、日本だとあまり馴染みがなく作中の描写でなんとなく掴めるような感じでした。

 

作品を観ていくと、このファイナルクラブ特有の排他性がfacebookというサービスにつながっていくという流れが見え、ザッカーバーグの大学時代の生活から徐々にサービスの形が作られていく様子は壮観でした。

 

ザッカーバーグはサベリンを含めた寮のルームメイトたちとfacebookの形を作っていきます。

 

しかし、前述のウィンクルボス兄弟によって後にアイデアの盗用を疑われ訴訟を起こされますが、劇中でザッカーバーグ自身が言っているように彼らがコードを書いたわけではないという側面も忘れられません。

 

ルームメイトから受けた質問などからfacebookの基盤が作られていく流れがあり、facebookを利用したことがある人なら、あの機能がこういう部分から出来上がったのかという感覚になると思います。

 

主に交際ステータスなどのプロフィール面についての部分ですね。

 

 

主にアメリカの東の大学間で広がったfacebookが、徐々に西の大学にも波及していき、それに伴うfacebookの法人化において、共同創業者のサベリンとは軋轢が生じてしまいます。

 

共同創業者としてfacebookを2人で盛り立てていくかと思いきや、その道を閉ざされたサベリンは、その閉ざされた際のとあるやり取りについての訴訟を起こし、訴訟の場でザッカーバーグと対峙しfacebook立ち上げからの回想をしていきます。

 

その回想の中のザッカーバーグとのやり取りと、訴訟の場でのザッカーバーグ本人の発言の食い違いが、鑑賞していくうちにどちらの証言が正しいのかも不安になるほどでした。

 

ただし、作中でのセリフに「証言の85%は誇張、15%は偽証」というものが登場し、ますますこの展開に惑わされそうになる一方、この映画の製作段階でザッカーバーグ側が関与していない点も踏まえると、この映画自体のことを指しているメタ的なセリフであるとも読み取れ、思わず唸るシーンでした。

 

ザッカーバーグよりもサベリンが身近に感じるため、思わずサベリン側に感情移入してしまいますが法人化に向けてサベリン自身が結果を出せずにいた点やザッカーバーグとの方向性の擦り合わせができていなかった部分は、ビジネス面で考えると致し方ない部分でもあり、現実的に考えると法人化に向けて一枚上手だったfacebook初代CEOのショーン・パーカー(ジャスティン・ティンバーレイク)に軍配が上がるのは仕方ないよなぁと感慨に耽りました。

 

また、ザッカーバーグ自身にファイナルクラブに入れる素質がなかったこともfacebookのサービスに繋がっていき、ラストシーンのザッカーバーグの行動に活きてくるのは映画としてとても好きなラストシーンでした。

 

 

今作はどうしてもアメリカ特有の風習面などが掴めない部分があり、取りこぼしている部分も多々あると思っていますが、個人的には友人間の軋轢を描いただけではなく、ザッカーバーグ個人を客観的に描き、facebookというサービスとのつながりが見えていく映画で、とても引き込まれました。

 

ただ、木暮自身はfacebookをやった期間が短いのもあって、そんなにfacebookを推しているわけではありませんが、ひとつのネットワークサービスの誕生を見る上では興味深い題材の映画だったと思います。

 

また、デヴィッド・フィンチャー監督の『ファイト・クラブ』を想起させるような人物の描かれ方だったので、フィンチャー作品好きの人には特におすすめしたい映画です。

 

余談

個人的にはfacebookは一度利用したことがある程度で、すでに退会しています。

 

その退会理由がタイムラインに全く見ず知らずの人の投稿が、フレンドのいいねによって表示されるという仕様が合わないということにありました。

 

「なんで知らない人の興味のない投稿がタイムラインにずっと流れるのか」にとても違和感があったのですが、今回『ソーシャル・ネットワーク』をみてファイナルクラブ等での人脈の築き方や情報収集の側面を見て、facebookというサイトの利用方法が理解できていなかったからだったのだと、今更ながら気づきました。

 

情報収集が目的の人には合致するサービスだと思いますし、グループを作ることも実際のイベントでは有効な手段だとは思いますが、木暮はそのどちらも消極的な人間だったので、そりゃ合うわけがなかったのだと腑に落ちました。

 

あと、facebookをやっていたころとは付き合う人たちが変わったことも関係していそうです。

 

木暮が利用していたころよりもサービス面には変化があるかもしれませんが、今回映画を観て、ふと思い出したことを書きました。

 

とはいえ、Instagramは眺める程度で利用しているのでMetaの手のひらで転がっている自覚はあります。

 

関連サイト

www.sonypictures.jp

 

www.seishisha.co.jp

 

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*1:第48回ニューヨーク映画祭

*2:第23回東京国際映画祭