ゆとり世代っていったいなんなんだ
日本テレビ系で2016年4月17日から6月19日まで放送していた、テレビドラマ『ゆとりですがなにか』が、映画になって2023年10月13日に全国公開されることが発表されました。
今回はテレビドラマ版の概要等と、ゆとり世代についての雑記です。
木暮も…ゆとり世代だからね…
ドラマ『ゆとりがなにか』概要
「ゆとり第一世代」の1987年生まれの登場人物3人を中心に、ゆとり世代が直面している社会問題や生活、恋愛などをコメディタッチでありながらも真剣に切り込んだ作品です。
登場人物3人は主演・岡田将生、柳楽優弥、松坂桃李が演じています。
概要
<野心がない> <競争意識がない><協調性がない>
ゆとり世代…社会は彼らをそう名付けた。
2002年に行われた教育改正。完全週5日制。授業内容、時間数削減。絶対評価導入。
「ゆとり第一世代」と呼ばれる 1987年生まれの彼らは今年、29歳。
人生の岐路を迎える。
高校が休みの土日は塾通い。
大学3年生、就活しようとしたらリーマンショック。いきなりの就職氷河期。
入社1年目の3月に東日本大震災。
<みんな違ってみんな素敵>と教えられたはずが、気づけばここは<優勝劣敗の競争社会>!!
果たして「ゆとり世代」は本当に「ゆとり」なのか?
「ゆとり第一世代」と社会に括られるアラサー男子3人が、仕事に家族に恋に友情に、迷い、あがきながらも懸命に立ち向かう!
笑いあり涙ありの人間ドラマが幕をあける!
あらすじ
食品会社営業の坂田正和(岡田将生)は、自分よりも下のゆとり世代の後輩である山岸ひろむ(仲野太賀)に振り回され、成績不振などから居酒屋店舗への異動を言い渡されます。
その結果、ストレスにより「レンタルおじさん」麻生巌(吉田鋼太郎)に相談を持ちかけるところから、ゆとり第一世代の物語が始まります。
正和は居酒屋では店長という肩書きでありながら、年上のアルバイトからは使えない人物として認定されてしまい、店舗の管理をしているエリアマネージャーで正和の恋人の宮下茜(安藤サクラ)には叱られるという日々を送っていました。
一方、正和と同い年の小学校教師の山路一豊(松坂桃李)は、度重なる保護者からの苦情やクラスのいじめ問題、新たにやってきた教育実習生の佐倉悦子(吉岡里帆)、職場の上司などに振り回されるという散々な日々を送っていました。
「ゆとり第一世代」であることで上の世代からも揶揄される対象になっており、下の世代の濃度高めのゆとり世代にも挟まれるという共通の境遇を持つ2人は、レンタルおじさんを通じて知り合い、意気投合します。
しかしこんな2人の苦労とはまた別のベクトルで生きていた「ゆとり第一世代」の人物として、風俗店の客引きの道上まりぶ(柳楽優弥)がいました。
まりぶの客引きによって、偶然3人は出会います。
彼は独特な感性の持ち主で、チンピラのような格好をして客引きで生計を立てていましたが、普段は大学受験に向けて勉強を続けているという風変わりな青年で、名門中学校に主席で合格しつつも大学受験には失敗をし続け、11浪中という状況でした。
正和、山路、まりぶが、同い年ということで意気投合していく中で、それぞれが直面していた問題に向き合い、お互いにぶつかり合って「ゆとり第一世代」の苦難に立ち向かっていきます。
コメディもあり、シリアスな場面もあって画面に齧り付くように観ていました。
そして脇を固める登場人物も一癖も二癖もあって、彼らの苦悩も見所のひとつです。
1987年生まれの「ゆとり第一世代」について
木暮はゆとり第一世代ではないため、おおよそのことしか語れませんが、ドラマ放送当時に調べて感じたことを思い出しながら書いていきます。
1987年生まれの「ゆとり第一世代」は、2002年のゆとり教育実施の年には15歳でした。
そのため、義務教育期間の9年間のうち、「ゆとり」の影響は約1年間ということになります。
しかし、世間の目は「ゆとり第一世代」という括りで見るため、ドラマ内でも3人は「ゆとり世代」として扱われています。
一方、正和の会社に入社した大型新人の山岸は、9歳の時にゆとり教育が実施された1993年生まれ。
山路の小学校に教育実習でやってきた佐倉は、8歳の時にゆとり教育が実施された1994年生まれ。
両者のこの6年から7年の差は大きいでしょう。
そのため、同じゆとり世代でありながら、ゆとり第一世代となかなか通じ合えない様子がドラマ内でも描かれます。
ゆとり第一世代が上の世代から受けた指導をそのまま山岸や佐倉にしても通用しませんし、溝ができる一方という上を向いても下を向いても悲惨な状況が広がっているのが、ひしひしと伝わってきます。
このドラマでこの絶妙な第一世代にスポットが当てられていること、そしてゆとり濃度高めの世代も描かれていることは、ゆとり世代のひとりとして共感するとともに客観的に自分たちの世代を見ることにもなりました。
上の世代がどんな視点でゆとり世代をみているのかと、ゆとり世代からする言い分などがポンポン出てきて、その軽快さと深刻さのコントラストが繊細で忘れられない作品です。
『ゆとりですがなにか インターナショナル』
さて、そんな「ゆとり第一世代」が映画として帰ってくるそうです。
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— 【公式】『ゆとりですがなにか インターナショナル』 (@yutori_ntv) 2023年4月23日
『#ゆとりですがなにか』
映画化決定🌟
𝟏𝟎月𝟏𝟑日(金)公開🎥
━━━━━★
あの個性豊かな❰ゆとり3人組❱が
帰ってくる✨
世代を超え、国境をも越える⁉︎
『ゆとりですがなにか インターナショナル』お楽しみに🌍#岡田将生 #松坂桃李 #柳楽優弥 pic.twitter.com/JSymGyqKAU
映画についての詳細はまだ明らかになっていませんが、脚本の宮藤官九郎が映画化の経緯について語っています。
確か『いだてん』の現場だったと思うのですが、桃李くんから「ゆとりで『ハングオーバー!』みたいなの、やれませんか?」と提案されました。それが3人の総意だったのか、記憶は定かではないのですが、世代論が通用しない海外で走ったり飲んだり吐いたりするまーちん、山路、まりぶ君の姿が目に浮かんで、水田監督に相談して『ゆとりインターナショナル』という仮題を付けました。しかし、コロナ禍になり海外ロケは当分ムリ。
だけど、見渡せば東京もじゅうぶん多国籍、多言語だし、ネットで世界と繋がっているし、ムリして風呂敷を広げずとも、生活圏の中でインターナショナル感が出せたら、そっちの方がドラマの世界観を踏襲できるのではないかと思い直し、八王子〜高円寺間で起こる国際問題を描きました。なので、思いつきではなく、実は4年越しの映画化なのです。
ハングオーバー要素も少ぉし残ってます。楽しみです。これがヒットしたら(しなくても)、また連ドラやりたいですね。ゆとり世代の40代、50代、60代、老後と、僕が死んだ後も『ゆとり』は続けて欲しい。それくらい大好きです。
『ハングオーバー!』要素が少しでもあると知ってしまったら、これはまた『ハングオーバー!』を観返すしかない。
そして、今回は国際問題についても描かれるそうです。
「ゆとり世代」は1987年〜2004年生まれの世代のことを指しており、これは世界的に「ミレニアル世代(Millennials)」後半から「Z世代(Generation Z)」前半にあたると思います。
世界的にはそれらの世代に位置するゆとり世代が、映画版でどのような国際問題に直面するのか…
しかもそれが八王子〜高円寺という特定の地域での出来事というのが、ますます気になるところです。
それにしても、このゆとり世代論は飽きません。
引用にもあるように、できれば今後も継続して映像化してほしいです。
ゆとり世代のひとりとしてざっくり
※ゆとり世代のひとりである木暮が「ざっくり」好き勝手に書いています。すべてのゆとり世代に当てはまるわけではありません。オチはありません。
ざっくり「ゆとり世代」というと「個性重視」の教育を受けた世代でしょう。
その結果、それまで上の世代が築いてきた常識とは少し距離がある存在でもあると思います。
「野心がない」「協調性がない」「競争意識がない」などの評価はその最たるものでしょう。
木暮自身もゆとり世代なので、そういう評価を受けているのを知っていますし、なんなら自分がそうだと思っています。
競争意識や野心がないのは断言できます。
新入社員時代に自分の競争意識と野心の無さを自覚した出来事がありました。
同じ支社に5人くらいの同期がおり、入社後しばらくお互いに困ったことがあれば可能な限り助け合う毎日を送っていたところ、木暮の課の上司から呼び出されて説教されたことがありました。
- 入社後、しばらくたっても新入社員で突出した人が出てこない
- 助け合うのは良いが、他の同期と差をつけることを考えろ
という旨の説教だったのですが、木暮を含めて同期全員がその説教にピンときていませんでした。
「会社に入社したこと=営利が目的の職業に就いている」という自覚はありましたが、「他の同期と差をつける」ことと「営利」の相関関係への理解ができませんでした。
なんだかモヤモヤして退勤後に同期みんなでご飯に行き、説教の内容について話し合いが行われました。
その結果、同期と差をつけていくことが目的ではなく、営利が目的なのだから助け合っていようが会社に利益が行くなら問題ないのではないかという結論に至りました。
「むしろ助け合って利益が増えるなら、無駄に競争する必要はないよね」
という1人の言葉に、その場にいた人間は納得していました。
多分、上司は互いがライバルであるという自覚を持って切磋琢磨してほしいような感じでしたが、わざわざ同期と差をつけていくより、みんなで高め合えば良いのではないかという感想を持ちました。
また、この場面における競争意識のなさ以外の側面も振り返っていきます。
個人的には、同期との間で協調性がないと思ったことはありませんでした。
もちろん、その当時木暮の周囲にいたゆとり世代の協調性が高かっただけかもしれませんが、ゆとり世代との間では協調性がない方が人間関係の難易度が高まっていた気がします。
というか同年代で、「この人、協調性ないな」と思った出来事が思い出せないんですよね。思ってても忘れてるだけの可能性もありますが…
むしろ競争することから距離をとっていた部分もあったので、ゆとり世代に協調性はあるのではないか…とさえ思います。
さっきの経験談だって、結局は「助け合っても良くね」という結論に至りましたし…
個性が重視された世代ではありましたが、体感では周囲との調和も気にしていた側面もあったと思っています。
なので上記の「協調性がない」は、ゆとり世代とゆとり世代との関係ではなく、ゆとり世代と他の世代との関係についてなのではないかと思っています。
でもそれって「ゆとり世代」がどうとかではなく、世代が違えば常識が変わってくるのだから異なる世代同士、お互いの常識の擦り合わせができていないだけなんじゃないかと思うんです。
「こちらの世代に合わせていない=協調性がない」ではないのではないかと…お互いにね…お互いに…
とはいえ、昨今のコロナ禍で露呈した「飲み会不要論」や「出社不要論」などは、協調性の観点からすると、そこそこ攻めているところだとは思います。
しかし、飲みニケーションにおいての協調性は、果たして協調性の部類に入るのかは、個人的には疑問が残る部分ではあります。
こういった話って、二重にも三重にもさまざまな要素が組み合わさっていると思うので、一概には言えないと思いますが、ゆとり世代のひとりである木暮が、あれこれ考えていたことを書き出してみました。
そして、振り返ってみると「ゆとり世代」に関する本を避けてきた部分があるんですよね。
なんだか残酷なことが書いてありそうな気もして…
でも、この際なので新書などから読んでみようかなと思っています。
余談
「いらすとや」で”ゆとり”と検索した結果、以下のイラストが出てきました。
とても幸せそうだし、個人的には「いらすとや」の中でもお気に入りイラストになりました。
そして紹介文とともに見ると笑ってしまう不思議さ。
ゆとり世代と呼ばれるような、ゆとりのある教育環境で育った男女のイラストです。