何かが起こることに賭け続ける人生
20世紀のイタリア文学を代表するディーノ・ブッツァーティによる1940年刊行の作品。
ドローゴという1人の青年が、国境線上にある砦に赴任するところから物語が始まります。
『タタール人の砂漠』概要
著者:ディーノ・ブッツァーティ(訳:脇 功)
出版年月日:1940年刊。今回読んだ岩波文庫版は2013年4月16日 第1刷発行のもの。
出版社:岩波書店
本の内容
辺境の砦でいつ来襲するともわからない敵を待ちながら,緊張と不安の中で青春を浪費する将校ジョヴァンニ・ドローゴ――.神秘的,幻想的な作風で,カフカの再来と称され,二十世紀の現代イタリア文学に独自の位置を占める作家ディーノ・ブッツァーティ(1906―72)の代表作にして,二十世紀幻想文学の世界的古典.1940年刊.
(引用)タタール人の砂漠 - 岩波書店
感想
ゆっくりとした流れの中で進む物語に共感をしながらも、主人公たち登場人物にブレーキをかけたくなるという不思議な作品でした。
しかし時は平等に進むのでブレーキをかけることはできないのだと、じわじわと実感させられました。
1940年に刊行された今作は、ジョヴァンニ・ドローゴの30年にわたる砦での生活が描かれます。
士官学校を卒業後、ドローゴが赴任することになった国境線上にあるバスティアーニ砦の前には大きな砂漠が広がり、その砂漠は「タタール人の砂漠」と呼ばれていました。
ドローゴは赴任早々にこれまでの日常とはかけ離れ、拘束的な世界である砦には長居はできないと思い、上官になんとか町に戻れるように計らって欲しいと相談をしました。
その結果、4ヶ月後の定期検診で軍医に診断書をもらって砦を去るという計画で、4ヶ月のみの滞在と思って勤務をすることになりました。
砦で勤務している者たちは目前に広がるタタール人の砂漠から、何かがやってくるのではないかという期待と不安を抱くことで日々を過ごし、徐々にドローゴ自身もそれらにゆるやかに飲み込まれていきます。
砦の生活にも慣れたころ、最初の期限である4ヶ月間の勤務の終了が迫りましたが、ドローゴは砦を去ることを取りやめました。
その様子は「砦に残る」という強い決意ではなく、砦から去ることをやめるという様子で、なぜ彼がそうしたのかは、彼自身にもわからないようでした。
上官であるオルティス少佐はドローゴに対し砦に完全に慣れてしまう前に町に戻るように諭します。
それは軍隊に所属する兵士としての出世面を考慮した言葉でもありながら、ずっと砦勤務を続けていたオルティスだからこそ言える人生そのものの話でした。
「ありがとうございます」ドローゴはそう言ったが、べつに納得したわけではなかった。「でも、結局のところ、この砦にいるのは、なにかもっとすばらしいことが望みうるからでしょう。馬鹿げているかもしれませんが、正直言って、あなたも……」
「残念ながら、そうかもしれないな」少佐は言った、「多かれ少なかれ、われわれはみんな頑なに望みを抱きつづけている。それが馬鹿げたことだってことは、ちょっと考えれば分かることなんだ(後略)」
砦に残ったドローゴは変わり映えのしない日々を送りながらも、砂漠の方に目を向け何か起こるのではないか、自分が活躍する場面が訪れるのではないかと思い続けます。
ドローゴが自分から”何か”を起こすことはほとんどなく、何かが起きることに賭けているようにも思えます。
日々の生活に慣れ、時間ばかりが過ぎていく中で何かしらの変化を求めるのは、多少なりとも誰にでも経験のあることではないでしょうか。
春の時期に読んだからかドローゴが初めて砦に向かう際、この先に本当に砦があるのかと不安に思う様や、上官を見つけて思わず声をかけてしまう様子などには、新入社員時代を思い出しましたし、ドローゴや他の兵士たちがひそかに砂漠に希望を持っていることにも、もっとやりがいのある仕事がしたいと思っていた頃を思い出しました。
一方でドローゴの砦への愛着とも呼べる感情には、少し疑問に思う部分もありました。
あるかわからない希望に賭けることを選び続け、砦に居続けることに抵抗があったドローゴが、なぜ砦にそこまで執着しているのか。
オルティス少佐のようにドローゴに助言をする人が現れるなど、何度もタイミングがあったのに、なぜそれらのタイミングで砦を去らなかったのか。
こうした疑問は、おそらくドローゴの状況を客観的にみているから浮かぶのであって、もしかしたら他者から見た木暮もドローゴのように知らず知らずのうちに、何かに執着をして時間の流れに気づかないでいる最中なのかもしれません。
まだまだ時間があると思い込んでいるうちに、どんどん時間の流れに足を取られていくのは、わかっていてもやめることはなかなか難しい…
でも後悔先に立たずなんて言葉もあるので、なんとかそうならないような生き方をしたいとも思います。
とはいえ、何かに執着する一生もそんなに悪くはないとも思うことも事実で…
結局は万人に共通する正解なんてものはないのかもしれませんね。
文庫版を読んで思ったこと
岩波文庫版を読んでみて、物語以外で思ったことがありました。
海外文学の翻訳でありながら、とても読みやすかったです。
- 注釈が少ない(翻訳独特のダッシュ記号の多用による注釈も少ない)
- 文体もかたくない
主にこの2つによって、とても読みやすく感じました。
あまりにも注釈が多いと集中力が途切れがちな木暮にとっては、とても読みやすかったです。学生時代は注釈が多くても気にならなかったのに…
また、訳者解説もとても面白かったです。
ブッツァーティが育った故郷の地形にも着目し、『タタール人の砂漠』というタイトルになった理由も刊行当時の時代背景も踏まえて考察しているなど、解説も必読の1冊。
訳者である脇 功さんはブッツァーティの著書を他にも翻訳しているそうなので、いずれそれらも読みたい。