やおら日記

日々のあれこれを なんやかんや書いているナマケモノ日記

「悩みがなさそうですね」に対する思いとアンサー

 

先日、学生時代からの友人と卒業後にほとんど連絡をとっていなかった数人とリモート飲み会なるものをしました。

 

近況報告に始まり、愚痴やら何やらが炸裂した会だったのですが、木暮の語るターンでは意図せず愚痴ではなく田舎生活の近所付き合いの奇想天外さ(朝起きたら玄関前に知り合いのおばあちゃんが何人か並んでいて、開店前のお店みたいになっていたとか)を語り、そこそこ笑って場が和みました。自分で言うのも変ですが。

 

 

そうすると、ある一言が飛んできたんですね。

 

「木暮は本当に昔から悩みがなさそうだよね」

 

と。

 

 

今回はその言葉を契機に何の専門知識もない木暮が個人的経験から、掘り下げていく記事です。

 

 

 

「悩みがなさそう」という言葉への思い

こういった言葉って、これまでの人生で結構言われてきてるんですよ。

 

親兄弟にも言われますし、親戚にも、小中高大の先生にも、前職の上司にも同僚にも…

 

 

別に、他人から悩みがなさそうと思われても良いのでは?

 

 

とも思いましたが、しかし。

 

 

悩みがないことは良いことですが、果たしてこの世に全く悩みがない人がどれほどいるだろうか…と、例の言葉を言われる度に思うわけです。

 

 

なんなら、ここではっきり言いたいのが

 

 

木暮だって悩みくらいあるんだよ!!!

 

 

ということです。

 

 

でも直球でこの言葉を相手に言うと、引かれるじゃないですか。

 

 

「いや、冗談だって(苦笑)」みたいな反応が返ってきたら、川に入ってそのまま海に行きたくなるくらいです。

 

 

なんか、そんなに大袈裟にしたくないんですが、他人並みに悩みはありますよ、そりゃあ。

 

 

年金もらえるころに自分は生きているんだろうか とか

 

このまま健康で生きていけるだろうか とか

 

安定しない収入なので今後、安定を求めるべきだろうか とか

 

ここでは書ききれないくらいのことは悩んでいます。

 

 

なので、プチ反抗期だったときに親に「アンタは悩みがなさそうでいいね」と言われたときは「その言葉を撤回しろ!」運動を起こしました。それでもいまだにそのことを親に言われるので、客観的に木暮は悩みがなさそうな人間なんでしょう。

 

 

でも、なんだろうか、この突き放された感。

 

 

木暮の親はサッパリ、アッサリ系な部分もあるのでもう諦めている節はあるのですが、他人から言われると突き放された感を勝手に感じてしまい、笑ってその場を流すことしかできませんでした。それもひとつの対処なんでしょうけれども。あとあと、変に凹むんですよ。

 

むしろ「悩みがなさそうって言われることが悩みだ」くらい言ってやろうとかと思うほどですが、木暮はこの言葉に対する最適なアンサーを長年の経験によって獲得することができました。

 

 

「悩みがなさそう」に対するアンサー

「悩みがなさそう」に対してこれまで何度か経験していき、大きく2パターンの返答まで絞っていきました。

 

 

【A】

〇〇「悩みがなさそうだよね」

木暮「いやあ、それが私にも最近悩みがありまして〜」

 

【B】

〇〇「悩みがなさそうだよね」

木暮「どうしたんですか、〇〇さん。悩みがあるなら聞きますよ?」

 

大きく2パターンですね。

 

 

個人的経験上、【A】の場合はあまりよろしくない展開になることが多いです。

 

その後、自分の悩みを相手に聞いてもらっても、あまり意味がないというか。

 

最悪の場合は「そんなのみんな同じだよ」という返答が返ってくることもあるので、【A】はあまり使わなくなりました。

 

 

というかみんな、解決することを目的に悩みを共有していないんだなということを感じるようになり、【A】は使わなくなりました。共感し合うことが目的のような。

 

 

対して【B】は文字に書いてみると少し尖った返答に感じますが、なるべく口調を優しめに言うと効果的です。

 

この返答をすると大抵は「最近さ、こういうことがあって…」とかいう話を聞くことになり、相手もなんだかスッキリしているので、最近は【B】のやり方で落ち着いています。

 

「悩みがなさそうだよね」に明確に悪意が込められているとき*1は、木暮も人間で多少の感情はあるので、ちょっと大袈裟に「どうしたんですか!〇〇さん!悩みがあるなら聞きますよ!」と強気で返します。

 

すると、「いや、大丈夫」という言葉が返ってきて、そこで話が終わるので【B】のやり方はこちらの心理的ダメージも軽減できて良策だと思っています。

 

 

ただし、相手がどんなテンションで「悩みがなさそう」と言っているかを見落としてはいけません。相手のニュアンスを汲み取り、それに合った口調や表情のアレンジを加えるのが必要になってきます。

 

悪意ゼロのノリが良い感じで「木暮って悩みがなさそうでいいよな〜」と明るく言われたら、「なんすか、〇〇さ〜ん。悩みがあるんなら言ってくださいよ〜」くらいに明るく返します。

 

ため息混じりだったり、表情が暗い状態で「悩みがなさそう」と言われたら、「この人は悩みを聞いて欲しいのかもしれない*2ということで、こちらも優しめに返答する感じです。

 

それで「いや、大丈夫だよ」と言われたら、「それじゃ予定合えば、また今度ご飯いきましょう」と言うくらいに留めておけば、あまり角が立たないかなと思っています。

 

 

木暮の経験上、「悩みがなさそう」と言ってくる人は、悩みを聞いて欲しいパターンがあるような気がしています。

 

 

最終的に悩みを言ってくるかどうかは別ですけどね。

 

 

これまで「悩みがなさそう」と言われて少し凹んでいたのですが、こういう返答方法を模索した結果、「待ってました!」と思って返せるくらいには受け身を取れるようになりました。

 

 

前述のオンライン飲み会でも【B】の返答をして、例の言葉を発した人の話すターンになったので、平和に事が進んだと思っています。

 

 

おわりに

悩みを言い合える関係も時には必要だとは思いますが、それが単なる愚痴で終わらずに深い話ができるのが理想だと思っています。あくまで理想です。

 

 

新卒入社の会社で上司から「お前から悩みを言われたことがない。感情が見えないから不気味だ。人と分かり合うには自分の弱みを見せろ。」といった趣旨のことを言われたのですが、いまいち納得ができていません。ていうか、不気味って本人に直接言うのはどうなのか…

 

 

自分の弱み(悩み)を言って、より深い関係になるのは理解できますが、最終的に解決するのは自分なのだから、周囲に愚痴の種を振り撒かなくても良いのではないかと思うわけです。仕事上の付き合いでは特に。

 

悩みを打ち明けて解決の糸口が見える場合もありますが、それって稀有なことだと思っています。

 

大抵が悩み相談から愚痴につながり「あーわかるわー」「実は自分も同じことがあってー」「えーそれは大変だったよねー」という感じに、堂々巡りになると思うんですよ。ただしこの場合、共感を得られることを目的としていれば良いと思います。

 

 

木暮だって困ったことがあったり、解決方法が全く思いつかないときにはさすがに周囲に頼ります

 

その場合は「こういう問題があって、こういうふうに考えているんだけど、こういうところが不安で」っていう言い方で悩みを共有しており、てっきり木暮の悩みは相手に共有されてるもんだと思っていたんですよ。

 

 

なので、例の上司に例の言葉を言われたときは「いや、〇〇さん(上司)にも以前、悩みを相談させていただきましたよ?」と返してしまいました。

 

 

 

もしかして木暮の悩み相談って、他人から悩みとして認識されていない…?

 

だから「悩みがなさそう」って言われるのか…?

 

 

 

もうよくわからなくなってきた…

 

 

 

とりあえず木暮は他人に「悩みがなさそう」とは言ったことがないし、今後も言わないのは確かです。

 

 

みんなそれぞれ見えない部分に抱えているものはあると思うんで…

 

 

*1:具体例はあげませんが、悪意や嫌味が含まれていると明確に感じるときです。言われた文脈だったり、相手の表情で変わってきます。

*2:あくまで「かもしれない」という仮説のもとで。