念願の境港
鳥取県境港市にある水木しげる記念館が2023年3月9日以降、約1年間休館するということを知り、思い切って行ってきました。
今回の記事では、水木しげるロードを中心に書いています。
水木しげる記念館に関する記事は、追って公開します。
境港への道
この日は、あいにくの雨からのスタートでした。
この写真の右側に松の木が見えるのですが、松の木からさらに右側には海が広がっていました。
この道路沿いには複数、飲食店がありました。
いよいよ、水木しげるロードに近づいてきました。
境港駅前からの様子
境港駅は水木しげる記念館の後に向かったのですが、道順的にわかりやすくしたかったので境港駅前から書いていこうと思います。
この日もレンタカーでの移動だったので、車は境港駅周辺の駐車場に停めました。
広めの駐車場だったので、移動手段が車でも安心です。
境港駅前から、水木しげるロードに至るまで、鬼太郎ワールド全開でした。
境港駅前では、世界妖怪会議が行われていました。
もちろん会議にはこのお方も…
世界妖怪会議の妖怪ブロンズ像も、水木しげるロードのブロンズ像も、年始にかけてしめ縄飾りがされているそうで、特別感がありました。
そしてそこから程なくして、水木しげる像があります。
「なまけ者になりなさい」
まあ…木暮はもともとナマケモノなのでアレなんですが、この名言は一生忘れずにいようと思います。
水木しげるロード
水木しげるロードは、境港駅から水木しげる記念館までの一本道のことを指します。*1ざっくり…
全177体のブロンズ像を見て、妖怪スタンプラリーをすることも含めると、水木しげるロードだけで少なくとも30分は要するのではないかと思います。
その他、お店での買い物なども含めると木暮は1時間半くらいは水木しげるロードにいたので、訪れる際は余裕を持って行った方が良いかもしれません。
1993年に誕生した水木しげるロード。2018年には、対向2車線から一方通行1車線に変更、段差の減少によるバリアフリー化など大規模なリニューアルが行われたそうです。
現在は夜間の妖怪影絵なども見ることができ、日中だけでなく夜間も楽しめるようになっています。
妖怪は夜になると動き出しますからね…
しかし、今回の旅行では夜間に行くことができなかったので、今度行くときは絶対に夜間も楽しもうと心に誓いました。
境港駅前からすでに妖怪ブロンズ像が並んでいるのですが、そこかしこに妖怪ブロンズ像が設置されているのは圧巻でした。
今回の記事では、特に気になったブロンズ像を写真とともに紹介します。
『テレビくん』は講談社『別冊少年マガジン』で1965年(昭和40年)初出の短編漫画です。
物語の内容については、『水木しげるロード全妖怪図鑑』から引用させていただきます。
「テレビくん」はテレビの中に自由に出入りできる不思議な少年、山田くんのニックネームだ。
テレビ画面の中に入り、コマーシャルに出てくるチョコレートやアイスクリームなどを食べたりする。トランジスタテレビを持っていて、旅館やホテルを転々としながら暮らす。
夢のような生活を送っている「テレビくん」。
木暮も旅館やホテルを転々としながら生きてみたい…
Wikipedia情報だと、この像が設置されたのは2017年だそうです。*2
「テレビくん」がテレビから飛び出している様子が、ブロンズ像としてひときわ目を引きました。
木暮のお気に入り、「サラリーマン山田」。
水木しげる作品には度々登場している、名バイプレイヤー。
特徴はメガネに出っ歯。ときにはそのまま、「メガネ出っ歯の男」と呼ばれるときもある。
どの作品でもあまりいい目にあったことがないようである。というより、むしろ悲惨な結末を迎えることが多い。
サラリーマン山田の名言では、以下の言葉が特に印象に残っています。
中年……
それはいくばくかの ゼニの力で かろうじて
存在をゆるされて いるような ものだ
この言葉自体も良いですが、その言葉を発しているときのサラリーマン山田の表情と後ろ姿の哀愁漂う姿が、目に焼きついて離れませんでした。
この妖怪、見た目の可愛さ以上に逸話がとても興味深いです。
滋賀県栗東市に菌(くさびら)神社という社がある。クサビラとはキノコのことだ。
祭神は大斗能地神(おおとのじのかみ)と大斗乃辨神(おおとのべのかみ)の二柱で、近隣の人々には「キノコの神社」で通っている。
舒明天皇の時代(630年ころ)、このあたりにひどい飢饉があり、人々は餓死寸前の状態に追い込まれた。そのとき、森やその周辺一帯に、それまではなかったキノコが大発生した。そのキノコは食べられることがわかった。
人々はこのキノコを食べることで、餓死の難から逃れることができたのである。
このキノコが神社の神域に発生したことから、これを神威の顕れであるとし、感謝の意をこめて、菌神社と呼ぶようになったといわれている。
こうした菌を名称とした神社は、ほかにはないようである。
コロナ禍になり、疫病封じの妖怪「アマビエ」が注目されましたが、クサビラ神も人々の窮地に関わる妖怪ということで共通していると思いました。
現代日本では飢饉が起こることは珍しくなりました。クサビラ神の出番がないままの方が良いとは思うので、このままの状態が続くと良いなと思います。
東京での「水木しげるの妖怪百鬼夜行展」でも展示されていた、べとべとさんブロンズ像。
水木しげるロードで見ることができました。
「べとべとさん、さきへおこし」
これで完璧です。
野原で野垂れ死にした人々の恨みが集まると、「がしゃどくろ」という巨大な妖怪になるという。
水木しげるの妖怪画にも度々登場している「がしゃどくろ」。
東京で見た展覧会でも、「がしゃどくろ」が描かれた原画が展示されていました。
歌川国芳の『相馬の古内裏』を参考に描かれた原画は、とても緻密な線で描かれており、今でも印象に残っています。
天井なめは、天井をなめるのはいいが、なめて逆に汚い「しみ」をつけてしまうのである。
人のいない間に、屋敷や堂に出現し、長い舌でなめる。そして汚す。長いのは下だけでなく背丈もそうで、おまけに痩せている。
天井に「しみ」を見つけたら、それは天井なめの仕業と昔の人は考えたようである。
天井なめも、東京の展覧会でも展示されていましたが、こちらは実際に天井を舐めているかのように見え、思わず「おお〜!」と声をあげてしまいました。
この日は雨のスタートだったので、天井なめが良い味を出しています。
江戸時代中期の浮世絵師・鳥山石燕の妖怪画集『百器徒然袋』に描かれている妖怪です。
水木しげるが鳥山石燕の天井なめを妖怪漫画に落とし込んだように、鳥山石燕自身も室町時代の『百鬼夜行絵巻』にある妖怪をもとにして天井なめを描いたそうです。*3
妖怪は受け継がれていってますね…
日本一、有名な妖怪と言っても過言ではない「座敷童」。
木暮の家にも来てほしいくらいですよ…
座敷童は主に東北地方に伝わる妖怪ですが、全国的に知られているとのではないでしょうか?
と思っていたところ、『水木しげるロード全妖怪図鑑』にも書いてありました。
同じような妖怪が別の名前で各地に出没している。色が白く綺麗なチョウピラコを上等とするなら、ウスツキコ、ノタバリコなどは下等な種族であるという。
チョウピラコ、ウスツキコ、ノタバリコは座敷童の一種。
さらにWikipedia*4で参照した限りだと、香川県や山梨県などにも座敷童の伝承があるそうなので、意外と日本各地にいるのかもしれません。
今回の記事では、水木しげるロードの妖怪ブロンズ像に絞って紹介しました。
水木しげる記念館に関する記事は追って公開しようと思います。
関連サイト
水木しげる関連過去記事
島根・鳥取旅行関連記事
── 以下、2023年1月27日追記 ──
*2:テレビくん - Wikipedia、最終閲覧日:2023年1月23日
*3:天井嘗 - Wikipedia、最終閲覧日:2023年1月23日
*4:座敷童子 - Wikipedia、最終閲覧日:2023年1月23日