やおら日記

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【新書】平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』

 

本のタイトルは少し仰々しく、アイデンティティがゴリゴリの話かと思いきや、そこまでゴリゴリではなく、とても読みやすい本でした。

 

この本をおすすめしたいのは、

  • 職場や学校での人間関係に悩んでいる人
  • 就職・転職活動で悩んでいる人

ですが、個人的には今回取り上げる「分人主義」は、特に人間関係に悩みがない人にも知って欲しい考え方でもあります。

 

 

 

『私とは何か 「個人」から「分人」へ』概要

著者概要*1

平野啓一郎(1975/06/22-)

小説家。文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により、第120回芥川賞を受賞。

著書には『葬送』、『滴り落ちる時計たちの波紋』、『決壊』、『マチネの終わりに』などがある。

 

本の内容

小説と格闘する中で生まれた、まったく新しい人間観。嫌いな自分を肯定するには?自分らしさはどう生まれるのか?他者との距離をいかに取るか?ー恋愛・職場・家族など人間関係に悩むすべての人へ贈る希望の書。

(引用)平野啓一郎公式サイト

 

7分でわかる「分人主義」公式ムービー

youtu.be

 

「分人主義」オフィシャルサイト

dividualism.k-hirano.com

 

「分人主義」とは?

「分人主義」については、上記にあるように公式サイトや、公式ムービーがあるため、こちらでは本をもとに簡単に紹介させていただきます。

 

詳細については、上記のサイトをご覧ください。

 

 

「個人」という単位に基づく思想が「個人主義」なのに対し、「分人主義」とは「分人」を単位とした思想のことを指しています。

 

そもそも「分人」とは何なのか。

 

人間は関わる他者ごとに、大なり小なりキャラクターが変わってきます。

 

親といるときの自分、友人といるときの自分、上司といるときの自分、コンビニの店員さんに会計をしてもらっているときの自分…

 

などを思い浮かべるとわかりやすいかもしれません。

 

友人といるときの自分は、ざっくばらんに趣味の話や仕事の愚痴を言い合えるが、職場の上司にはざっくばらんには話しかけられず、改善してほしい箇所を伝えることさえ難しいというように、友人と上司に対して全く同じ態度をとることは、なかなかないと思います。

 

この場合に「本当の自分」というワードを敢えて使うならば、

「本当の自分」は友人といるときの自分で、上司といるときの自分ではない

ということになってしまいます。しかし、平野氏は「本当の自分」という考え方について以下のように語ります。

 

たった一つの「本当の自分」など存在しない。裏返して言うならば、対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」である。

(引用)平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』(講談社現代新書)p.7/太字は原文まま

 

「個人」の語源は、英語のindividualの翻訳で、「(もうこれ以上)分けられない」という意味を含みます。*2

 

しかし、平野氏が語る「対人関係ごとに見せる複数の顔のすべてが本当の自分」という考え方の場合、友人といるときの自分と上司といるときの自分を表すものとして「個人」という表現では限界がきてしまいます。

 

そこで平野氏が今回の本で提唱したのが「個人(individual)」に対する「分人(dividual)」という考え方でした。*3

 

 

「individual」:(もうこれ以上)分けられない

「dividual」:分けられる

 

という区別になります。

 

「分人の集合体が個人である」という考え方が、「分人主義」にあたります。

両親との分人、友人との分人、上司との分人…

さまざまな分人の集合体が自分ということですね。

 

加えて、この分人の発生には大きく3つの段階があります。

 

 

STEP1:社会的な分人

STEP2:グループ(カテゴリー)向けの分人

STEP3:特定の相手向けの分人

 

 

分人が発生するためには、対人関係において反復的なコミュニケーションが必要になります。

 

誰でも、初対面の人と接する時は、相手のことをほとんど知らない状態から徐々に関係がスタートしますね。*4

 

そのため、分人もステップを踏んで変化していきます。

 

分人の仕組みについて「個人」と対比をしながら、平野氏はこう語ります。

個人を整数の1だとすると、分人は分数だ。人によって対人関係の数はちがうので、分母は様々である。そして、ここが重要なのだが、相手との関係によって分子も変わってくる。

関係の深い相手との分人は大きく、関係の浅い相手との分人は小さい。すべての分人を足すと1になる、と、ひとまずは考えてもらいたい。

(引用)平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』(講談社現代新書)pp.68-69

 

これを踏まえて上図のSTEPを見ていくと…

 

STEP1の社会的な分人は、初対面の人や関係の浅い相手との間で生じた分人

STEP2のグループ(カテゴリー)向けの分人は、自分の帰属場所での分人

STEP3の特定の相手向けの分人は、STEP1やSTEP2を経て親しくなった相手向けの分人

 

という構造が見えてきます。

 

STEP1と2を経ていくと必ずSTEP3の分人に変化する訳ではなく、相手との付き合った時間の長さに比例するわけでもありません。

 

STEP1の段階から短期間でSTEP3の分人になるような「意気投合」をする場合もありますし、その逆で何年経ってもSTEP1のような状態で必要最低限の事務的な話しかしないという関係で止まることもあります。

 

この後者の状態について平野氏は、「分人化の失敗」と表現しています。

 

分人の構成比率

分人の大きさは相手との関係の深さによって異なり、個人の中に複数ある分人の構成比率は、個人の個性に関係します。

 

誰とどうつきあっているかで、あなたの中の分人の構成比率は変化する。その総体が、あなたの個性となる。十年前のあなたと、今のあなたが違うとすれば、それは、つきあう人が変わり、読む本や住む場所が変わり、分人の構成比率が変化したからである。十年前には大きな位置を占めていた当時の恋人との分人が、今はもう、別れて萎んでしまっていて、代わりにまったく性格の違う恋人との分人が大きくなっているとする。すると、あなた自身の性格、個性にも変化があるはずだ。個性とは、決して生まれつきの、生涯不変のものではない。

(引用)平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』(講談社現代新書)p.89

/太字は原文まま

 

この分人の構成比率を振り返ることで、自分の状況をみつめることもできそうです。

 

誰とつきあっているかで、自分の中の分人構成比率が変化するということを踏まえると、たとえば現在の職場の上司との関係が芳しくない場合も、分人の構成比率を見つめ直すことで状況を変化させる手がかりが見えてきそうです。

 

特定の上司から普段、理不尽な扱いを受けていて、精神的にも疲弊している場合、他所の人が客観的に見れば、その上司と離れられるように人事に相談することや、転職することなどの提案がされます。

 

しかし、渦中の人間は八方塞がりのように感じ、何も行動できずそのままの状況で居続けるということが往々にしてあると思います。

 

この場合、自分「個人」が上司から理不尽な扱いを受けていると考えるか、上司といるときの「分人」が理不尽な扱いを受けていると考えるかで、問題への向き合い方が変化しそうです。

 

上司といるときの分人が理不尽な扱いを受けていたとしても、必ずしも他の同僚との分人も理不尽な扱いを受けているとは限りません。

 

理不尽な上司についての愚痴を言い合える同僚がいる場合、その同僚との分人を足場として、これまでの分人の構成比率を見直すことが事態打開へとつながるきっかけになる場合もありますし、いじめを受けている人や職場で理不尽な扱いを受けている人間が、自分個人の本質がいじめられているのだと考えず、自分の分人と相手との関係による問題であると、問題を客観的にみることができると思います。

 

つきあう人間の比率、すなわち分人の比率を意識し、分人の構成比率を変化させることで、自分の状況を変化させることもできます。

 

このように、「個人」に問題があると考えるよりも、「分人」が築いた関係に問題があると考えることで、人間関係に関する悩みを複雑化させず、必要以上に自分を責めたり、精神的に不安定になったりすることを避けられるように思います。

 

 

おわりに

本自体はそこまで分厚いものではなかったのですが、内容が濃く、今回の記事では全体の3割くらいしか触れられませんでした。

 

「分人主義」という考え方は、人間関係の悩みにとても画期的な考え方で、個人的にはもっと広まってほしい考えだと思っています。

 

木暮はこれまで対人関係において悩みが生じると、自分自身(個人)がダメなんだと思い悩みましたが、分人の問題であると考えることで客観的に問題を捉えられそうで、気持ち面で、だいぶ心強い理論だと思いました。

 

自分個人が分人の集合体であるということは、相手も分人の集合体であるとも考えられます。

 

そう考えることでこちらも、相手の本質的な部分と相性が悪いと考えるのではなく、分人同士の関係性に問題が生じているだけなのだと考えることが重要だと思います。

 

しかし、こういった考え方は自分1人では少し限界がありそうだとも思いました。

 

こちらが相手個人を否定的に見ていなくても、相手が自分個人を否定的に見ている場合は、問題の打開には少し時間がかかるのではないかと思いました。

 

とはいえ、この本を対象の相手に読んでもらうことは難しいですし、相手が「分人主義」的な考え方ではない場合も、今回の理論は自分の考え方の転換に活用できそうなので、何かしらの糸口が見えると思います。

 

本を読んで、「分人主義」という考え方を知りましたが、結局は実生活でこの考え方を活用しないと意味がないと思うので、今後はこの考え方を実生活に落とし込んでいくことが、対人関係の目標になりそうです。

 

また、今回の本では平野氏の過去の著作における分人主義的考えが、平野氏自身によって触れられていました。

 

木暮は平野氏の作品は今回の本が初めてだったので、今後、平野氏の著作を読んでいきたいと思っています。

 

すでに平野氏の作品に触れたことのある人も、それらの作品を振り返りながら分人主義をみていくことができると思うので、とてもおすすめの本です。

 

関連サイト

平野啓一郎公式サイト

k-hirano.com

 

講談社新書書籍公式サイト

bookclub.kodansha.co.jp

*1:平野啓一郎公式サイト参照。最終閲覧日:2022年10月25日

*2:平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』p.3参照

*3:dividualは辞書で調べても出てきません。平野氏による造語よりも以前に同様の理論でdividualという単語が英語圏の人の中でも登場していたようです。この記事では詳細は書きませんので、気になる方はぜひ『私とは何か 「個人」から「分人」へ』を読んでみてください。

*4:初対面から既に親しい関係を築ける人がいることはありますが、それは例外であると本文では触れられています。