やおら日記

日々のあれこれを なんやかんや書いているナマケモノ日記

【小説】カツセマサヒコ『明け方の若者たち』感想

 

9月に購入した本リスト内の『明け方の若者たち』を読み終えたので、感想を書いていきます。

 

今回は小説の感想のみの記事です。映画版、スピンオフ版も観たのでそちらは後日、記事にします。

 

 

『明け方の若者たち』概要

作者:カツセマサヒコ

出版年月日:2020年6月10日 初版発行

出版社:株式会社幻冬舎

 

著者概要*1

カツセマサヒコ(1986-)

日本の小説家、随筆家。

大学卒業後、一般企業への就職を経て趣味で書いていたブログを機に編集・ライターへ転職。『明け方の若者たち』で単独書籍を刊行し、小説家デビュー。

 

あらすじ

「私と飲んだ方が、楽しいかもよ笑」?
その16文字から始まった、沼のような5年間。

明大前で開かれた退屈な飲み会。そこで出会った彼女に、一瞬で恋をした。本多劇場で観た舞台。「写ルンです」で撮った江の島。IKEAで買ったセミダブルベッド。フジロックに対抗するために旅をした7月の終わり。
世界が彼女で満たされる一方で、社会人になった僕は、"こんなハズじゃなかった人生"に打ちのめされていく。息の詰まる満員電車。夢見た未来とは異なる現在。深夜の高円寺の公園と親友だけが、救いだったあの頃。

それでも、振り返れば全てが、美しい。
人生のマジックアワーを描いた、20代の青春譚。

(引用)明け方の若者たち | 株式会社 幻冬舎

 

主な登場人物

僕:主人公。

彼女:”僕”の一目惚れした人。

尚人:”僕”の会社の同期。親友。

 

感想

2012年5月から2017年4月頃までの約5年間の”僕”のお話です。物語は”僕”の語りで進みます。

 

2012年って案外最近の話だと思っていましたが、10年前なんですよね…

 

”僕”は大手の印刷会社に就職先が決まり、就職先が決定した人だけが呼ばれる、あまり乗り気ではない「勝ち組飲み会」に出ていました。

 

”彼女”も内定先が決まり、いわゆる”勝ち組”の中の1人として乗り気ではないけどその飲み会に参加していました。

 

2人は、この飲み会を機にちょっとしたことから交流をし始めます。

 

読んでいる最中、文面からあれだけ「幸せ」が迫ってくることがあるんだと驚くくらいに2人は幸せで満ちていて、社会人1年目の”僕”が「こんなはずじゃなかった」と落胆しても、”彼女”との関係があれば乗り越えていけるという、まさに青春譚そのもののキラキラした2人が描かれていました。

 

”彼女”も社会人1年目で”僕”と同じような立場にいながらも、自分の希望している会社に入社し、その後も順風満帆で、研修期間の「こんなはずじゃなかった」といった感情は見えません。”僕”とその同期の尚人と3人で高円寺で過ごす彼女は、とてもいきいきとしていて、何事にも余裕がある様子。

 

”彼女”と”僕”は、考え方などが同じ方向を向いているようで少し違い、それが2人の関係をより魅力的にしたし、”僕”は自分にはない考えをする”彼女”に熱中していきました。

 

”彼女”のアラームの曲からキリンジ『エイリアンズ』を知り、彼女が好きなものを好きになろうとしたり。

”彼女”と歩調が合うように”僕”が頑張る姿は、さまざまな人に身に覚えがあったり、身近な人と重なる部分があると思います。

 

とにかく”彼女”がズルくて、余裕で、無邪気で、わがままで…

 

”僕”が夢中になるのが、納得できます。

 

この2人の関係や、2人と尚人の関係、そしてそれぞれの人生が5年という月日をかけて、どのように変化していったのか…

 

それぞれの立場に共感でき、木暮が社会人1年目で思っていたことがそのまま登場したりすると、「みんなも、こう思うんだ」と驚くこともありました。

 

木暮は2人の関係も去ることながら、”僕”の人生観も興味深く読みました。

 

以下、木暮が特に印象的だと思った、”僕”が人生観について考えたところです。

 

 減点方式ではない人生。

 そんな言葉が頭をよぎる。総務部の仕事は、誰がやってもできて当たり前、間違いは許されない世界だ。百点満点だけが価値を持ち、それ以外は極力排除されていく。機械のように働く日々が、僕にはしんどかった。

 何かを企画して、カタチにして、世に広めていく。そんな働き方がしたいと、学生時代によく面接官にぶつけていた。あの漠然とした情熱の意味が、今になってようやくわかる。たぶん僕は、単純に、誰かに褒められたかったのだ。

 加点方式の人生とは、そういうことだ。ゼロからスタートして、十点でも二十点でもいいからプラスを積み重ねていく。誰かの助けになったり、元気づけたりする。その結果、誰かから、それも、多くの人から、もしくは、自分にとって特別な存在から、認められたり、褒められたりする。そんな経験をしたいだけだったんだ。

(引用)カツセマサヒコ『明け方の若者たち』(幻冬舎文庫)pp.137-138

 

「減点方式」「加点方式」で人生を表現するなんて思ってもみませんでしたが、言わんとしていることには、とても共感しました。

 

就職活動って、毎回自分自身について面接官に審査されているような感覚に陥りやすく*2、内定がもらえなかったらそれだけで「自分が認めてもらえなかったんだ」と自分自身に落胆してしまいます。*3

 

そのまま内定先に就職しても、さらなる”採点”が待ち受けていて、その度に意気消沈するなんてことは、多くの人に訪れるものだと思います。

 

「誰かに褒められたい」と言葉そのままに思わなくても、承認欲求が渦巻く時期だと思うんですよね。

 

結局、「機械のように働く」だけなら自分じゃなくても十分じゃないかとさえ思うようになったりして…*4

 

そうなったらクリエイティブな「加点方式」の人生に憧れるし、そこに行きたいという明確な目標があるのに、手が届かない場合のもどかしさって、慣れてもどこかで燻るんですよね…

 

木暮も社会人1年目の頃は、同期と鳥貴族で酔い潰れたもんですよ。

 

愚痴を言い合いながら、各々が誰が頼んだ焼き鳥かも判別できなくなっても焼き鳥を手に取り、何がなんだかわからない状態で、終電に駆け込むという。

 

途中でへべれけになっているサラリーマンの横を何度、猛ダッシュで通り過ぎたことか…

 

作中で出てくる「マジックアワー」の表現を借りるなら、ああやって酔い潰れて終電がもうすぐだと気づいて、一気に酔いが覚めるという経験をしていたあの頃が、木暮のマジックアワーだったのかもしれないと、読んでいて感慨に耽りました。

 

今となっては酔い潰れる前に帰りますからね。サクッと。

 

『明け方の若者たち』を読んでいると、そういったかつての自分が徐々に蘇ってきました。

 

作中に登場する高円寺には行ったことがありませんでしたが、”僕”と尚人が飲んでいる場に、あのときの自分がいても違和感ないんじゃないかとさえ思うくらいです。

 

”僕”と”彼女”の日々がこの物語の主軸になっていますが、木暮は主人公の人生観が特に印象的に残りました。

 

「こんなはずじゃなかった」と嘆いていたあの頃の思い出と、そこで得たものを糧にして「こんなはずじゃなかった」はずの人生を生きていくしかないのかもしれないと思いました。

 

 

カツセマサヒコさんに関しては、この小説をもとにした映画を知るまで存じ上げませんでしたが、文体がとても好みだったので2作目も気になっています。

 

関連サイト

www.gentosha.co.jp

 

関連記事

映画『明け方の若者たち』の感想記事を公開しました。

yaora-diary.com

 

*1:カツセマサヒコ - Wikipedia参照。最終閲覧日:2022年10月8日

*2:ある意味、審査ではあるんですが。

*3:今となっては、採用されなくても「その会社が求める人材じゃなかったんだな」で思考の切り替えができるので、あの頃に戻れるならこの感覚で戻って就活してみたいですね。いや…やっぱりいいや。

*4:あの頃は考えすぎていたのかもしれないと、今となっては思います。