今年で104回目の甲子園
前回の記事から間が空いてしまいました。
色々あったので別記事にしたいと思っていますが、あれからちょっとしたことでムチ打ちになってしまったので、しばらく安静にしていました。現在は回復しています。
そんな安静期間中に唯一できたことが高校野球を見ることでした。
今回はその高校野球を見ていて思ったことを書いています。
甲子園でのガッツポーズは見ていて爽快
実は木暮、これまでちゃんと甲子園の1試合を最初から最後までしっかり見たことがありませんでした。
地元の高校の試合でも飛び飛びで見る感じだったのが、今回の安静期間で横になりながら出場高校のほとんどの試合を最初から最後まで見ることができました。
不幸中の幸い。
その試合の中でもさまざまな場面で選手たちのガッツポーズを見ることができ、木暮はそのガッツポーズに病みつきになっていました。
ガッツポーズひとつとっても、その状況によって意味が大きく変わってきて、
不利な状況だったのが、一気に逆転したときのハツラツとしたガッツポーズ
ここをなんとか抑え切らねばというときに抑え切ったときの噛み締めるようなガッツポーズ
連続で点を入れたときのちょっと余裕のあるガッツポーズ
などなど、さまざまです。
木暮も中学までは卓球や水泳などの大会に出場していましたが、今回の甲子園を見ていると木暮の経験してきた以上のさまざまな感情が乗っかったガッツポーズばかりで、こちらも一緒になって嬉しくなります。
ガッツポーズから受ける感情
なんだか甲子園で球児がガッツポーズで感情をあらわにしている姿を見ていると、自分がいつの間にか日常生活で感情を表すことが減ったような気もしてきました。
別にマイナスの意味ではなく学生時代に比べると、多少の嫌なことは「無」で対処できるようになりましたし、嬉しいことがあっても「ここで気を引き締めなければ」と考えて喜びは半分に抑えるようになっています。
多分それが社会人の端くれとしての普通なんだと思いますが、なんだか味気なくも感じます。
辺り構わず感情をバカスカ出すのは流石にやりすぎですが、嬉しいことは嬉しいと素直に表現することも忘れてはいけないなと思いました。
一時期は感情が動くのに疲れることもありましたが、正の感情くらいはきちんと認識しないと、どんどん「無」になっていくような気がして…
自分の負の感情も多少は受け止めたいところ。多少はね…
今年の夏の甲子園もあと少しですが、球児たちのガッツポーズを目に焼き付け、104回目の甲子園を見届けたいと思います。