ゲゲゲの…
今回は『ゲゲゲの鬼太郎』の作者として知られる、水木しげるのエッセイ集について書きます。
知ってましたか、みなさん。
NHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』は2010年放送ですよ…
12年前ですよ…
主題歌を手がけた「いきものがかり」も3人から2人になって再始動していますし、時が経つのは本当に早いですね…
2015年2月10日第一刷発行、株式会社筑摩書房
『人生をいじくり回してはいけない』概要
著者概要*1
水木しげる(1922/03/08-2015/11/30)
日本の漫画家、妖怪研究家、紙芝居作家。
代表作に『ゲゲゲの鬼太郎』『河童の三平』『悪魔くん』など。妖怪漫画の第一人者とされる。
本について
水木サンが見たこの世の天国と地獄をユーモアたっぷりに綴ったエッセイ。おいたち、鸚鵡にみとれて命拾いした戦争体験、妖怪について…。人生にはいろんなことが起こって当たり前、下手にいじくり回すより、自然の流れに身を委ねたほうがいい。あくせく競争に追われるより、南国の楽園のように、のんびり暮らそう。
発行:2015年2月10日第一刷発行、株式会社筑摩書房
水木さんについて
まず、木暮の水木しげるへのイメージは、「のんびりした自由な人」というイメージでした。
『ゲゲゲの鬼太郎』を知る前に、作者である水木しげるを知ったので「妖怪」と「水木しげる」が繋がったのは中学校に入る前だったと思います。
最初に木暮が水木しげるを知ったのは、テレビのインタビューでした。
今となってはどこのテレビ局だったのか、どういった番組だったのかは思い出せませんし内容もうろ覚えですが、そのときの言葉が未だに忘れられないので、この機会に書こうと思います。
一言一句完全に覚えているわけではないので、話半分に聞いてください。
そのときのインタビューでは、水木さんの娘さんの小学生時代のお話がされていました。
内容はざっくり言うと、娘さんが「眠たいからもっと眠っていたい。学校に行きたくない。」と話すと、水木さんは「眠いなら、眠っていても良いんだよ。」と言ったというエピソードでした。
その当時の木暮はこのエピソードにとても衝撃を受けました。
そんな自由なことがあって良いのか?と小学生ながら思った記憶があります。
ちょうどその時期、木暮も様々な理由から学校に行きたくなかったので、「どうせこのおじちゃんも”いいから学校に行きなさい”とか”学校ではたくさんのことを学べるから云々”言うんだろうな」と思ってた矢先のことだったので、拍子抜けしました。
その後に「眠いのを無理していることはない。眠いなら眠いで、眠って良いんだ」と続けていたので、木暮はなんだかスッとした気分になって、学校に行きたくないのもどうでもいいやと思い始めました。
これが木暮の水木さんに対する第一印象でした。
それからしばらく経ってNHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』が放送され、水木さんの戦争を経験した話なども知ることになりました。
木暮は水木さんがなぜここまで自由に「のんびり」した性格なのかと不思議でしたが、水木さんのエッセイ『人生をいじくり回してはいけない』を読んで、少しその理由に触れたような気がしました。
感想
『人生をいじくり回してはいけない』の中に、第二次世界大戦中に出征したニューブリテン島のラバウルでの原住民と水木さんとの関わりと、そこで水木さんが感じた「日々がたのしいという神」について、以下のように記されています。
土人の自由な生活、自由な考え方が好きでした。
南方の土人たちも、なにもない生活というのを送っている訳だけど、これはなかなか幸せなんです。日々が楽しいんですよ、なにしろ「日々がたのしいという神」に導かれているから。
※「土人」とは「原住民」といった人たちの蔑称にも捉えられるそうですが、原文そのまま引用しました。引用文を読んでもわかるように、水木さんの文章には軽蔑するような意味合いは特に含まれていないと思います。
水木さんはラバウルに約3年いたそうですが、その時にマラリアに罹りその後、敵軍からの攻撃で左腕を切断するなどの経験をしています。
それらの経験の中でも原住民との交流があり*2、終戦後の26年後に再び現地を訪れ、約10日の滞在をしたことなどからも、その交流は水木さんにとって大きな経験だったのだと思います。
文章からは、そこで出会った原住民たちの「自由」である生活や考え方を目の当たりにし、それらに好意的な様子が伺えます。
木暮はこの文章を読んで、水木さんの「自由なのんびりした」考え方は、ここからきているのかなと思いました。
もちろん、元来の性格もあるとは思うのですが、戦争という生死がかかったところでこういった「自由」な生活や考え方を目にするのには、木暮の想像が及ばないほどの意味合いがあるような気がします。
水木さんが言う「自由」は、このときの原住民の暮らしぶりに近いものなのかもしれないと考えると、木暮が考える自由はここまで「自由」なものなのだろうかと疑問に思うと少し怖くなりました。
生活していく中で大小さまざまな悩みが出てきますが、その悩みの中でも漠然としたものに対する悩みは尽きません。
そういったことを考え出すと「自由」なんてものはないような気にさえなります。
今日食べるものを確保するだけでひとまずOKの原住民的な生活は、今の日本ではなかなか難しいでしょうし、生活することを考えると自分の「やりたいこと」なんて二の次になってしまいます。
大学卒業までは少なくとも自由に近い生活だったと思いますが、そこで「就活」というものを経験すると、途端に「自分のやりたいこと」「好きなこと」にモヤがかかり始めました。
そしてそんな考えすら抱かず日々に忙殺されていましたが、今回の本で以下の文章で、ふと我を振り返ることになりました。
現代人は好きなことが見つからなくて困っている。なんてよく言われるけれど、それは悪い言葉で言うと無能なの。無能は悪いことじゃない。なにも無理に成功を目指さなくてもいい。近頃は無能の人の多さより、自分が「無能街道」を歩いていることを知らない人が多いことにビックリする。自分のことなのに、流されすぎているんじゃないかな。
突然の無能宣告には何か抉られるものがありましたが、引用文の最後の一文は特に衝撃的でした。
自分のことなのに、流されすぎている…
その後、こう続いています。
人の幸福は、運命という奴が結局、みんな決めているような感じだけれども、運命が司っている時間とか力というのは、そんなに多くはない。本人の考え方次第で、どうにでも変わる。だから、運や星回りをあんまり過大に考えすぎてもいけない。自分の意志は、運命さえ変えられると信じることが大切だ。
なかなかに力強い言葉です。
結局、好きなことが見つからないとしても、その状況を変えられるのは自分でしかなく、方法はいくらでもあるということだと受け取りました。
余計な付属品(言い訳とか)をつけていると、いつの間にか自分の足元がわからなくなっちゃう気がしますし…
あれこれ考えて自分の足取りを重くするのではなく、物事を単純に捉えていくことが大切なのかもしれません。
今回、感想に引用した文章以外にも水木さんが考えていたことが、たくさん書かれています。
ノンフィクションライター大泉実成の解説にもありましたが「”ファッション”とはどういうものだろうか」という一文もとても面白いので、少しでも気になった人には是非読んでほしい本です。
*1:水木しげる - Wikipedia参照。最終閲覧日時:2022/07/09 17:30
*2:これについては実際に読んでほしいですが、当時の日本軍を想像すると様々な規律があった中でも交流を続ける様子は少し微笑ましく感じました。