鬼よりも怖い積読の餌食になっていたという…
『鬼滅の刃』全巻をこのGWの余裕のあるときに読み終えることができました。
アニメは遊郭編まで見ていたのでそこまでの内容は知っていたのですが、遊郭編以降の展開が気になり、やっと積読の山に眠っていた『鬼滅の刃』全巻を引っ張り出しました。
今回は簡単な感想と、「泣ける」という表現について書いています。
感想箇所はネタバレなしの方向で書いていますが、ネタバレが気になる方は念のためスルーしてください。
『鬼滅の刃』概要
作者:吾峠呼世晴
掲載誌:週刊少年ジャンプ(2016年11号 - 2020年24号)
巻数:全23巻
出版社:集英社
あらすじ
血風剣戟冒険譚、開幕。
舞台は、大正日本。炭を売る心優しき少年・炭治郎の日常は、家族を鬼に皆殺しにされたことで一変した。 唯一生き残ったが凶暴な鬼に変異した妹・禰豆子を元に戻す為、また家族を殺した鬼を討つ為、2人は旅立つ。鬼才が贈る、血風剣戟冒険譚!
感想(ネタバレなし。気になる人は念のためスルーを推奨)
とにかく設定の作り込みが細かいのに加えて、特に17巻から最終巻までの怒涛の展開が目を離せず原作漫画を読んでよかったと思いました。
なんなら週刊少年ジャンプで毎週待っていた人は、もどかしい気持ちだったのではないかと思うくらいの展開だったので、木暮は1週間を待てなかっただろうなと思うと全巻まとめ買いしてよかったと思いました。
アニメ版は遊郭編まで見た上で、アニメの中での炭治郎の説明の量にいささか拗さを感じてしまっていたので、原作でも説明が多そうだなと思い、原作を読むか(購入するか)躊躇していましたが、原作は思っていたよりも炭治郎の説明量に拗さを感じませんでした。
多分アニメは原作内にある説明を炭治郎によってその都度、説明しているため拗く感じるのか?と思いましたが、木暮の気のせいかもしれません。
なんとなくアニメ内の説明は鱗滝さんができそうなところは鱗滝さんに委託すると拗さが減りそうな気がしました。これも素人考えなので合わない可能性大…
また内容については新型コロナウイルスが流行を始めて「おうち時間」が長引いたことで知っている人が多いのではないかと思うため、詳しい物語設定等は書きません。
さて、感想に移りますと…
遊郭編以降が特に怒涛の展開で、鬼の人間時代の記憶はもちろん柱と呼ばれる鬼殺隊のエリートがなぜ鬼殺隊に入隊したのか、主人公炭治郎の家に伝わるものの謎などが徐々に明かされていきます。
その明かされていく過程がとても丁寧に描かれており、作者の物語設定の丁寧さが垣間見えて読み応えがあります。
また、人間と鬼の分かれ道についてもいろいろと考えてしまって、木暮はなんだか鬼の方に感情移入しながら読んでいました。
鬼にはそれぞれ人間時代に理不尽なことに合うなどして、そこで抱いた憎しみや妬み、苦しみ、悲しみの感情の収拾をつけられず鬼の道へ進むことになりますが、主人公の炭治郎や鬼殺隊に入隊した人も同様に鬼によって理不尽な目に合っている上で、人間として鬼と戦う道を選んでいます。
なので、理不尽をどのように消化するかで人間か鬼かが分かれるんだろうなと思いましたが、木暮はうまく収拾をつけることができるだろうかと疑ってしまいます。
作中では鬼は絶対悪としての扱いを受けつつ、過去の描写も丁寧に描かれているので一概に悪であるとは言い切れない気持ちになり、善と悪だけで割り切って考えることが難しく展開されていることが、この漫画の結構好きな部分でした。
あとはアニメ化が決定している刀鍛冶の里編の放送を心待ちにしています。
「泣ける」という表現への違和感
さて、今回書いた『鬼滅の刃』に関連して、これまで作品紹介に関して疑問に思ってきたことを書いていこうと思います。「キメハラ」*1については触れません。
そもそも木暮が『鬼滅の刃』について知ったのは、前職の上司や同僚や取引先の人からでした。
みんな月曜はジャンプを持って出勤していて、木暮も読むように強く勧められましたが仕事中に読んでたりしたので「いいから仕事しろよ」という冷めた気持ちでおり、その当時は『鬼滅の刃』への関心は強くありませんでした。
これに加えて、みんな口を揃えて言うのが「泣ける」や「泣けた」という表現で、実際にそうなのかもしれませんが「泣く」ことを求めていない木暮にとってはあまり良い薦め文句ではないなという印象しかなく、ますます興味は半減するという天邪鬼モード加速。
極め付けは劇場版「鬼滅の刃 無限列車編」の放映開始の時期。
朝礼のとき課長や部長が最後にひとこと言うのが通例だったのですが、そこでも「観ていない人は観てほしい。煉獄さんの部下への想いには泣けた」とか言い出して、木暮は興醒め。
そういうあなたは部下へどんな扱いをしていますか?という木暮渾身の怒り爆裂天邪鬼モード発動。
そこまで感動したなら煉獄さん見習えよ!おい!!
取り乱しました。すみません。
話を「泣ける」「泣けた」に戻します。
『鬼滅の刃』では泣いてしまうようなシーンがあることは確かです。
でも、それをお薦めポイントとするのには違和感があります。
もっと語れるところがあるだろう!!心を燃やせ!!
久々に「ドラ泣き」*2を思い出しましたよ。
『STAND BY ME ドラえもん』も「泣き」とかいう言葉を使わなくても、楽しめる内容だったと思うんですよ。でも「泣ける」ことを全面に押し出されると、「ああ、はいはい、泣く映画なのね、はーい」みたいに冷めちゃう。
作品を観る中で感情が動かされて泣く分には良いのですが、「泣ける」などの表現をあらかじめ受けると観る前から感情のレールを敷かれているみたいで嫌なのかもしれないと、この記事を書いていて思いました。
『鬼滅の刃』だって、「泣ける」こと以外にも語るところ(魅力)があるじゃないですか。
ネタバレをしないように薦めてくれてた結果、「泣ける」などの表現に至ったのかもしれませんが…
そんなこんな言っている木暮がなぜ『鬼滅の刃』のアニメや原作に手を出したのかと言うと、友人から「鬼滅について語りたいから読め」とひとこと言われたからなので、案外シンプルに「語ろうぜ」的に言われる方が作品への興味は持ちやすいのかもしれないと思いました。*3
あ、木暮がそう思うだけなのかもしれません…
そして言われる相手にもよるのかもと思ったことは、密かにここに書いておきます。
関連項目
*1:詳しくはキメハラとは [単語記事] - ニコニコ大百科を参照ください。参照元に迷いましたが、説明がわかりやすかったのでニコニコ大百科にしました。