不意のネタバレによるなんとも言えない気持ち
2022年3月28日、アメリカアカデミー賞で『ドライブ・マイ・カー』が国際長編映画賞を受賞し、授賞式の様子や映画『ドライブ・マイ・カー』に付随した情報(原作やロケ地の情報など)が報道されています。
受賞翌日の2022年3月29日の朝、木暮は朝の番組で今回の受賞に関する報道をみていてとても残念に思ったことがあったので、「なんとかテレビ業界の人にもこの感情が届かないかな〜」というオブラート並みに薄い希望を持ってこの文章を書いています。
事の発端
2022年3月28日、アメリカアカデミー賞で『ドライブ・マイ・カー』が国際長編映画賞を受賞しました。
今回の受賞は『おくりびと』以来の13年ぶりで、日本の映画がアメリカの最高峰の映画賞を受賞したことはとても嬉しく思っています。
しかし現時点で木暮はまだ『ドライブ・マイ・カー』を観たことがないので、新型コロナウイルスも若干増えつつありますが、近いうちにおよそ2年ぶりに映画館に行って観ようかなと思っていたところです。
さて、そんなアカデミー賞の授賞式では、さまざまなことが起こりました。俳優ウィル・スミスさんのこと、現在進行中のウクライナ問題に関するメッセージが会場で表示されたこと、会場の様子や『ドライブ・マイ・カー』の関係者へのインタビューなどが報道されています。
木暮は観ていないなりに、受賞者のインタビューやコロナ前と同じ方式での開催の様子なども気になりテレビを見ていました。
さて、そんなときにあることが起こりました。
テレビ番組内での映画のネタバレです。
2022年3月29日の朝8時台の番組でのことでした。*1
この番組でも『ドライブ・マイ・カー』の受賞などを放送していて、他局の同時間帯の番組と交互にザッピングしながら見ていました。
そんなとき、ちょうどその例の番組にチャンネルを合わせると、コメンテーターの人がまあまあのネタバレをしていて、司会者も途中で止めに入りました。
司会者が「ネタバレになっちゃうので*2」と止めに入った時点では時すでに遅しでしたが。
そんな感じに注意を受けたコメンテーターはある程度コメントをしたあとに「ネタバレしなくてよかった」的なこと*3を言っていましたが、木暮的には「十分にネタバレしてたよ」という印象でした。
映画のネタバレについて思っていること
今回に限らず木暮は、観ていない映画についてはネタバレを見ないように・聞かないように気をつけています。
でも映画に関する番組はそこそこ興味があるので、見たり聞いたりしています。
ただ、それらの映画に関して特化している番組の共通点は
「この先ネタバレになるかもしれないので、まだ映画を観ていない人は聞かない方が良いかも」
のように必ずと言っていいほどネタバレに対してのアナウンスが入ります。
はてなブログでも映画について書いている記事を読みますが、ネタバレに関してアナウンスしている記事もちゃんとあるので、その映画を観ていない段階では読むのを避けることができていますし、観たあとにその記事を読んでみて共感したり、新たな発見をしたりという記事をもとにした映画の楽しみ方もできています。
それらのアナウンスのおかげで木暮のような人間は、不意にネタバレ喰らうことを避けられているのですが、今回の場合は違いました。
今回はそもそもコメンテーター自身の「ネタバレ」の基準が、一般的な感覚から少しズレがあるような印象で、これに関してはコメンテーターを責めることはできないかなと思っています。
人によって基準は曖昧なものなのかもしれませんし。
ただし、一般的な「ネタバレ」の定義として
フィクションなどの物語について触れた文章が、物語の重要な箇所や結末に言及してしまっていて、これから読む人、見る人の楽しみを奪ってしまう状態になっていること。あるいは、そうした情報そのもののこと。はてなブログ タグより引用
という意味があります。
なので、今回の『ドライブ・マイ・カー』については公式で既出の物語紹介以外の部分に触れるのを避けた方が少なくともネタバレにはならないのではないかと思います。
ちなみに『ドライブ・マイ・カー』の公式サイトでの作品紹介は以下のようになっています。(ここも読みたくない人は飛ばしてください)
舞台俳優であり演出家の
家福 は、愛する妻の音 と満ち足りた日々を送っていた。しかし、音は秘密を残して突然この世からいなくなってしまう――。2年後、広島での演劇祭に愛車で向かった家福は、ある過去をもつ寡黙な専属ドライバーのみさきと出会う。さらに、かつて音から紹介された俳優・高槻の姿をオーディションで見つけるが…。喪失感と“打ち明けられることのなかった秘密”に苛まれてきた家福。みさきと過ごし、お互いの過去を明かすなかで、家福はそれまで目を背けてきたあることに気づかされていく。人を愛する痛みと尊さ、信じることの難しさと強さ、生きることの苦しさと美しさ。最愛の妻を失った男が葛藤の果てに辿りつく先とは――。登場人物が再生へと向かう姿が観る者の魂を震わせる圧巻のラスト20分。誰しもの人生に寄り添う、新たなる傑作が誕生した。
この作品紹介にもあるように、ある一定のラインからは内容がわからないように紹介されています。
この場合で言うと「妻の秘密」に関する部分などです。
しかし今朝の番組では公式が伏せたこの内容に関するところがネタバレされていたので、率直に言うとがっかりです。
もちろん、今回のネタバレについて見ていた人は「あれはネタバレのうちに入らない」と言うかもしれませんが、木暮は公式サイトで伏せられている部分を超えたのであれば、ネタバレだと思っています。
こんなに長ったらしく書いていますが、ネタバレを気にしている人(木暮)が、そもそもテレビを見たことも問題かもしれません。
しかし、ある種の「公共の電波」に乗せて言う必要はあるのかという疑問は消えません。
まだまだ今作は映画館でも上映していますし、今回の受賞を機に観てみようと思う人もいると思います。
なのに…
不意打ちでネタバレを喰らうなんて。
原作があるからネタバレOKなのか
『ドライブ・マイ・カー』は文藝春秋(2013年12月号〜2014年3月号)で掲載されていた「女のいない男たち」と題して連作された村上春樹による短編小説の1作目です。
2013年の末頃からなので8年ほど前の作品です。
なので「原作が小説で何年も前に発表されている作品なのだから今更ネタバレなんて」という考えもわからなくはないです。
ただ、あえてここで言いたいのは小説と映画を同列にできないのではないかというところです。
映画は映画なりに上映時間の観点やそのほかの事情から、小説と全く同じ流れにはできない場合や、映画ならではの展開があったりして、そこも映画を観る楽しみでもあると思います。
また、全ての人が原作小説を読んでいるとは限りません。
原作小説を読んでいない人は、今回の受賞で原作に興味を持ったかもしれません。
別の場合では映画化にあたって原作小説に興味を持つこともあると思います。
もちろん、世の中にはネタバレされても問題なく楽しめる映画もあるかもしれませんし、今作がその映画なのかもしれません。
でもどんな理由であれ、公共の電波でネタバレをして良い理由にはならないと思っています。
ネタバレを好む人は各々でネタバレを探しに行くなり、観た人に聞くなり手段はあります。
その場合はネタバレの方からこっちに来るのではなく、こっちからネタバレを探しに行くという形であって、ネタバレ自身が能動的にこちら側に来るのには違和感があります。
ネタバレ自身は受動的に構えていて、ネタバレを好む人の方が能動的に動いて知る分には何も言えません。
構造上の問題
今回の受賞で普段映画に関して特化している番組以外にも、一般的な報道番組でも作品が取り上げられています。
そのためか、普段映画について公共の場であまり発言したことがない人が発言することで、今回のようなことが起こるのかなと思ってしまいます。
普段映画についてコメントしている人ならば、ある程度の節度を持ったラインを把握した上でコメントをしていると思います。
そのため安心して聞いていられるのですが、そうでない場合は番組の構成をする上で事前にコメンテーターと打ち合わせるなり何なりして、ネタバレをしないような示し合わせ(工夫)をするべきなのではないかと考えます。
そもそも何のために今回の受賞について報道しているのかを考えると、ネタバレは不必要なはずです。
日本の映画作品が海外の栄誉ある映画賞を受賞したということと、その作品の魅力を報道したいのであれば。
お茶の間で親しい人と話しているのとはわけが違うのですから。
そう考えると今回起こったことは、コメンテーターだけの問題だと言い切れないように思います。
司会者も止めに入ったり「対処」はされていましたが、そもそも内容に関してはなるべく触れないように事前打ち合わせするなり、映画コメンテーターを呼ぶなり、いくらでも方法はあったはずです。
しかも加えて言うならば、今回のネタバレだけに憤りを感じているわけではありません。
およそ13年前に『おくりびと』がアカデミー賞 外国語映画賞を受賞した際にも、テレビ番組上で同様のことが起こっていました。
13年前なので正確な記憶ではありませんが、コメンテーターが始めた『おくりびと』受賞についての話の内容は紛うことなきネタバレでした。*4
なので今回のことも含めると、その頃からテレビ番組の構造は全く変わっていないんだなと再認識した出来事でしたし、そのときに懲りたはずなのにまたテレビでネタバレを喰らった油断していた自分にも憤りを覚えた出来事でした。
ネタバレに関しては賛否両論あると思いますが、今朝のテレビ番組でのネタバレに関する木暮の憤りを書いた次第です。
感情的になっていて支離滅裂な箇所がありましたら、申し訳ありませんでした。
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