本は本屋で買いたいという強い思いゆえに
唐突ですが、ここ数年特に思っていることがあります。
それはインターネット上で本を検索した時に出てくる画像を表紙や裏表紙だけでなく、背表紙も載せてほしいということです。
何を言いたいのかわかりづらいと思いますが、木暮も自分でどう伝えたら良いか模索しながら書いているのでわかりづらさMAXかもしれません。
長くなりそうな予感ですが、まずは本を書店・ネットで買うということから書いていき、後半はタイトルにある「本の背表紙の画像が見たい」について書いていこうと思います。
本は書店で買うと強く決意
かつて今ほどネット通販などが普及していなかったころに本を買うとしたら、まず書店に行って新刊情報の細かいポスターを見たり、買っている雑誌の巻末等にある新刊情報を頼りにしていたと思います。または実際に新刊コーナーに足を運んで、その場で新刊本を手に取って目次等を見てみたりして、購入するか否かを決めていたような。
自分の興味のある分野の本棚に行って、その場で本を探したり。
他にも多数方法はあったとは思いますが、少なくとも今のように大手ネット通販が普及していないころは、「あなたにおすすめの本」や「この本を見た人はこの本も見ています」みたいな機能に触れることが木暮自身まったくなかったので、最近のネット通販サイトは本当に助かるなと思っているところです。
ほしい本が無限に出てきますからね。
しかもときどき的を外すくらいで、たしかに木暮が興味のある分野の本だったりして、そのサイトを眺めるだけで本の情報を無限に手に入れられるという点では、昨今のコロナ情勢の中では特に便利なものだと実感しています。
でもそんな中で木暮が直面したのが、大型書店の閉店や家の近くの本屋の閉店です。
以前記事にもしましたが、地元に戻る前に住んでいたところにあった大型書店と中規模書店が次々とコロナ禍で閉店していったんです。
大型書店の書店員の人に閉店の理由を聞いたところ、「もともと売上が振るわなくて、今回のコロナで決定打になりました」という言葉が返ってきて「おのれコロナめ」とコロナに対する憎しみの感情を持ちました。
でも木暮自身を振り返ってみると、全国的に出た最初の緊急事態宣言下では家とスーパーや薬局の往復くらいで書店に行くことが全くなく、その後も「立ち読みしている人が多いし、コロナに罹るのも怖いから行くのは当分やめようかな」と思って、書店の前まで行ってそのまま店内に入らずに帰るという風に、書店から足が遠のいていっていました。
そしてコロナ情勢が続く中、いつも行っていたその大型書店が閉店しその数ヶ月後には家から1番近かった中規模書店が閉店し、気づけば行ける書店がどんどん減っている状況になっていました。
木暮が書店に行く理由に「本棚の中からほしい本を選びたい」という思いがありました。
それはなぜなのかというと、ネット通販等で表示されるオススメの本が無限に出てくる状況に優柔不断な木暮が優柔不断さを存分に発揮してしまって、ネットのレビューだけで判断して買った結果後悔するということが近年増えてきたからです。便利さゆえの自業自得。
その点、書店で本を買うメリットのひとつは、実際にその本を手に取ってみて目次やら気になる章やらを見てみることで、本の取捨選択ができるという点だと思っています。
ネット通販でも目次の表示や試し読みの機能はありますが、試し読みの範囲は大体が本の前半部分までで、本の中間部分の章が気になった場合には実際に買ってみるしかありません。
また、レビューを読んでいてもレビューを書いている人の主観が大きく反映されてしまっていたり正常な判断ができることが少ないという印象を受けています。
もちろん参考になるレビューもありますが。
なので書店で実際に手に取って見るのと、ネット通販の商品紹介やレビューだけで判断するのとでは書店で買う方が本もお金も無駄になることが少ないと思うんです。
そしてある程度、目星をつけて書店の本棚に行った時に求めていた本の近くにあった本の方が自分には必要な本だったりすることもあって、そういう偶然の出会いについてもネット以上に書店という場所で本を買う理由のひとつになっています。
さて、そんな中地元に戻ってきた木暮ですが
地元の書店も危機を迎えていました。
地元の書店は「TSUTAYA」というチェーンの書店なのですが、地元に初めてTSUTAYAというオシャレな響きのものが登場したときは大盛況でレジもものすごく混んでいて行くたびに知り合いに会っていました。
あ、田舎だからかも…
僻地なのに漫画本の棚だけで6島の棚があり、壁一面ももちろん本棚で数多くの分野の本が揃っていて近隣の市や隣県に行かないとなかなか見ることができない光景がそこには広がっていました。
「え、こんな田舎なのに良いんですかTSUTAYAさん!」という気持ちで、何かと理由をつけては足繁く通ったものです。
ゲームやCD・DVD売り場、レンタルCD、レンタルDVD、小規模の文具売り場など…
あの頃の地元はTSUTAYA中心にまわっていたと言っても過言ではないです。
しかし、そんな僻地に突如現れた救世主のTSUTAYAが最近じゃ、HPがほとんど削られ瀕死寸前のごとく続いています。
かつてあったゲームやCD・DVD売り場、小規模の文具売り場は無くなり隣の店に吸収され、今残っているのはわずかな書籍コーナーと、レンタルCD、レンタルDVD、レンタルコミックだけ。
6島あった漫画の棚は2島に減り、その他の書籍コーナーも半分以下まで削られていました。
そして店内に入ると店員さんの人数よりも利用者の方が少ないという状況。
コロナ禍の3密を回避する分には良いですが、かつて確かにあった「活気」というものがことごとく削がれていて地元に戻ってTSUTAYAに入店したときは
「おい!誰にやられたんだ!!」
と味方があらぬ姿で倒れていたときに駆け寄ってかける言葉のようなものが頭に浮かびました。
あの活気があった状態でも僻地だったのに、あれから何年も経って人口は毎年どんどん減少しているんだからTSUTAYAも瀕死状態になるよなとしみじみと思いました。
木暮も大学進学のため地元を出て以来しばらく出ていたので、「おい!誰にやられたんだ!!」という言葉に対する返しは
「木暮!お前もTSUTAYAにダメージを与えたうちの1人だぞ!」
ですね、こりゃあ…
さてそんな感じにいま木暮がいるところの娯楽の最終段階を支えているのはこのTSUTAYAなのですが、地元に戻ってからというものいつ行っても閑散としているので実は木暮的にはゆっくり本を選べるという点でとても重宝しています。
それでも、選べる本には限度があるんですが…
それが最近そのTSUTAYAにとある現象が起きていまして!
本棚に並べられている本が木暮好みなものばかりになっているんですよ!!
ザ・自意識過剰!!
偶然の可能性が極めて高いですが、限られた書籍コーナーでふとしたときに
「この本が入荷しているなんて!!最高じゃねえか!」
と思ったんです。
それまでは人気書や有名人のエッセイやロングセラー本などの「まあ、これを置いてたら誰かしら必ず買うもんな」という本ばかりで、まるでコンビニの書籍コーナーのようだったので「この規模の書籍コーナーじゃ、ここが限界か」と愕然としていたんですが、最近はマイナーな本や新書や文庫の取り扱いも増えてきて
「おいおい!まだ力が残っていたのか!!」
という、力を失いつつあった味方が復活したときにかける言葉が頭に浮かびました。
書籍コーナーが大幅に削られたからか「前だったら置いてたはずなんだけどな」という本がなくなっていて、最近じゃ出版社のホームページを見て本当に気になる本があったらTSUTAYAで注文するということを半年以上続けていました。
そしてここにきてのこの味方の復活ですよ!
自意識過剰は十分承知の上でですがこの現象に対して
本は書店で買ってやる!
という気持ちが俄然、強くなりました。
そしてここに繋がるのが
タイトルにある「本の背表紙の画像が見たい。」です。
書店と背表紙の関係
ある程度栄えている街に住んでいると、書店が複数あるのが当たり前のようなところがあり、かつて木暮も自分好みの本が多く取り揃えてある書店を好んで利用していました。
しかし、田舎はそうはいきません。
田舎は特に書店数には限りがあり、その書店への依存がより高くなると考えます。
また、万人に好まれる本がその書店の90%以上占めると何が起こるのかを考えたところ
書店で買う意義が薄れる
ような気がしました。
一概に断言はできませんが、それこそネット上で情報は得られますし最近ではYouTubeなどでもレビューしている人がいて、購入もネット上でするとなるとすべてがネット上で完結できてしまうと思うんです。
ましてや最近はネット通販サイトの方がポイント還元率が高いキャンペーンをやっていたり、クーポンの取得ができたりと、書店に行かずとも本に関わることができる仕組みが根付いてきているように思います。電子書籍もしかりですが。
そういう時に書店が発揮しているのは、書店員さんの選書の力だと思うんです。
人気な本も書店存続という部分においてはとても重要なポジションにいますが、その本以外の部分での書店員さんの光る選書スキルは、利用者の心を鷲掴みにして離さないと思います。
木暮がそうだからという根拠が薄い話ですが、書店に行って初めて知る本との出会いや、自分の興味のある本が棚という物理的な形で目の前に広がっている点は書店ならではだと思うんです。
その書店に行けば、いちいちクリックしなくても歩くだけで興味のある本が目の前に広がるというのは本を選ぶ上ではこれ以上ない状況だと思っています。
もちろんその本屋の本棚にある本以外にも世の中には良い本はあると思いますが、書店員さんが選んで作った本棚からまずは本を選んで、そこからその分野の本を広げて行くという「とっかかり」的には十分優れていると思います。
さて、そんな書店と離れられない木暮ですが
最近はどうしてもネットの利用を外すことができません。
好きな作家さんがTwitterで新しい本を紹介していたら、それをもとに本を買いたいと思うし、「そういえばこのことについて書いている本がないかな」と思ったら、ネット検索で本を探しますし。
ただ、出てきた本については前述のとおり本気を取り戻しつつある地元書店を助ける意味でも、書店で購入もしくは注文したいという思いが強くあります。
書店がなくなったらうちの地元は田んぼと山以外ないので…
しかし、ここで少々問題が。
ネット検索でみた本を実際に書店の本棚で探すと、高確率で探すのに時間がかかるんです。
タイトルと著者がわかっているのに、ぜんぜん見当たらない!
その出版社のコーナーのはずなのに、ぜんぜん見当たらない!
五十音順で探しても見当たらない!
という具合です。
平置きしてある本ならすぐにネット上の表紙の画像で見つけることができるんですが、本棚に立てて入れられている状態の本はほとんどが背表紙しか見えていないので、一旦そのループに陥ると抜け出すのは容易ではありません。
なので、タイトルに戻りますが
「本の背表紙の画像が見たい」んです。
以前、東京の大型書店に行った時は本の検索機が置いてあって、その検索機で本棚のある程度の位置まで割り出されて本を探せるという仕組みを目の当たりにしましたが、実はそのシステムも便利ですが難しく感じました。
本棚の特定まではすんなりできるのですが、その本棚の中から背表紙を見て見つけるということが木暮は本当に難しく、右往左往して結局書店員さんを探して聞いてという状況でした…
木暮の力不足と言われればそれまでなんですが…
でも結局書店員さんもなかなか見つけられず、他の書店員さんがきて見つけてくれ、正直大掛かりになってしまったなと少し落ち込みました。その時の書店員さんには感謝の意しかありません。
そこで思ったのが、出版社の公式サイトで背表紙の画像も載せていただけたら最高だということでした。
ええ、完全なるワガママです。すみません。
でもそうするとすんなり書店で本を見つけやすくなると思うんです。
文庫や新書の場合も同様です。むしろ新書や文庫の場合、同じような活字やデザインで並んでいるのでループに陥りやすいとさえ思っています。
本の背表紙の画像を載せるのはとても労力のいる話だと思うので実現は難しいと思いますが、実現したら嬉しいです。
おわりに
今回は電子書籍の面などは敢えて組み込まずに書きましたが、長くなってしまいました。
またところどころ不足している考えもあるとは思いますが、いま木暮が最近の書店事情について思っていたところと、背表紙への熱い思いを書きなぐりました。
もし背表紙もネット上で見ることができたら、ますます書店で本を買うのが呼吸するようにできるだろうなと思いつつ、まずは自分の目の能力を上げねばと決意しながらこの記事を締めます。