やおら日記

日々のあれこれを なんやかんや書いているナマケモノ日記

【今週のお題】映画館を贈りたい

今週のお題「自分に贈りたいもの」

 

「自分に贈りたいもの」を考えるにあたって、それは実現可能な贈りもので考えるのか実現が難しそうなもので考えるべきか悩みました。

 

今回は実現が難しそうなもので「自分に贈りたいもの」について書いていきます。

 

木暮は映画が好きですが、人に語れるほどの深い見解を持つところに達していません。今回は「場所」としての映画館に焦点を絞って書いていますのであらかじめご了承ください。

 

 

最後に映画館で映画を観たのはいつ

木暮はこれまで住んでいた地方都市から地元がある僻地に戻ったのですが、それからというもの「映画館」への距離が物理的にも精神的にも離れてしまいました。

現在いる僻地から映画館までは近隣の県の映画館に行くのが最短距離です。木暮がいる僻地県にも映画館はあるのですが、県境を越える方が近いという僻地ぶり。

このコロナ禍では県境を越えるハードルが高いことや、呼吸器系の持病を持っている木暮にとって映画館での感染対策面を考えると映画館との距離は離れてしまっています*1

 

 

かつての木暮は平日レイトショーに駆け込み、仕事の息抜きをしていました。

20時頃に会社から出ると会社の最寄駅で帰りの電車待ちをしている間に、レイトショーのラインナップをチェックして席予約を完了し、途中下車して映画館に行って映画を観るだけでその日の嫌な気分が吹っ飛び、その日が最初から良い日だったのではないかと錯覚したまま眠りにつく。

という生活を前の職場に転職してから約5年続けていました。

 

夕飯は映画館のホットドッグとか映画館でしか見かけないアイスとかでした。

 

退勤が21時を超える時はさすがに観に行けなかったですが、日々の息抜きに映画館が通勤路線にあってよかったと思っています。

地元の僻地を大学進学で出ることになり、自転車で行ける距離に映画館があることや、電車で帰る途中に映画館があるということは、木暮にとってとても嬉しいことでした。

 

そんな映画館に取り憑かれていた木暮ですが、最後に映画館で映画を観たのはいつだったろうと思い、映画の半券をスクラップしていたので観てみたところ2020年の1月に『男はつらいよ50 お帰り寅さん』を観たのが最後でした。

 

 

映画館で映画を観たい理由

映画館で観る映画って自宅で観る感覚とはやはり違うと思っています。

 

どう違うのかですが、

 

映画館では携帯電話の電源を切って、せいぜい地震やトラブルがない限り映画に集中できる環境が整っている点が自宅で映画を観る感覚とは違うなと思います*2

 

電源を切っているので携帯電話に着信があっても気が付くのは映画が終わって映画館を出てからだし、基本的にレイトショーをやっている時間帯に仕事の連絡が来ることがおかしい*3と思ってるので連絡が来ていても次の日の出社時に確認するようにしていました。

 

外部との関わりを2〜3時間シャットアウトできるという場所。

 

いわば”簡単な”自主隔離をしていたのかもしれません。

 

 

そして映画館で映画を観るのに欠かせないのが音響や映像の良さです。

自宅でも音響や映像設備を整えることもできると思いますが、なにせお金がかかるので…

 

 

音楽関連の映画で木暮が好きな『ボヘミアン・ラプソディ』や『セッション』も映画館の音響で聴いたら最高だと思うんですよ。

 

『セッション』は残念ながら映画館で上映していた当時まだ知らなかったので映画館で観ることは叶わなかったのですが、『ボヘミアン・ラプソディ』はIMAXで観たこともありド迫力でLIVE AIDのシーンは特にもう一度映画館で観たいシーンです。

 

自分に映画館を贈りたい

いまの自分に贈るとしたら、あのとき通っていた映画館をそのまま贈りたいぐらいの気持ちでいます。

 

一般的なシアタールームではなく、映画館を贈りたいんです。

イメージ的には家の中の一部屋にシアタールームを作るのではなく、映画館の一室に寝泊まりする場所としての家があるみたいな、なんなら映画館の敷地内にぽつんと家があるみたいなイメージです。

 

かつて映画館に通い詰めていくうちに、映画館のスタッフの人とも一言二言話すようになっていったんですが、その時の何気ない世間話もあの頃の自分の支えになっていたように思います。

 

「今日もお疲れ様です」とか「今度、興味ありそうな映画の試写会ありますよ」みたいな。

 

仕事であった理不尽なことを飲み込めず、気持ちの踏ん切りがなかなか付かなかった時に映画館のスタッフさんとするそんな会話が心地良かったんです。

 

友達だと詳細に話して、ますます落ち込んだりすることもありますが友達とも家族とも知り合いとも言えない、でも「いつもの」人との会話は必要以上に考えすぎるのを停止できる良い距離感だったのかもしれません。

 

ある意味、生活のリズムの中に映画館があったのかもなと思っています。

家でも会社でもない、自分の居場所として行きつけの店を持っている人はいると思いますが、そんなイメージです。

 

家に帰る感覚で映画館に帰って、売店でいつもの店員さんからホットドッグとコーヒーを受け取って映画を観る。

そして眠りについて翌朝、働きに出る。

 

仕事で歯を食いしばる思いをしても、

「大丈夫。木暮の帰る場所は映画館だ」と思えば乗り越えられそうな気がします。

 

そして映画館ではかつての名作も好きなタイミングで上映したり、最新作で気になっている映画も自分の好きな時に上映したり。

人を招いたり、周辺の人に開放したり。

 

 

そんな毎日を送れたら最高ですよ。

 

 

おわりに

これまで映画館が家になったらという考えで、自分への贈りものを「映画館」として話を進めていましたが、映画館が家になったらまた別の居場所を求めるのかなとも思います。

 

慣れからの無いものねだり…

人間の性さが

 

 

そして今回は、理想をそのまま書いたので「映画館が家になったとして、そこのスタッフは雇うのか」「映画の上映権はどうするのか」、その他諸々は敢えて考えませんでした。

それらを考えると今回の自分への贈りものは、やはり実現には程遠いですね。

 

それでもやっぱり「自分へのご褒美」として映画館を贈りたいという気持ちでいます。

 

 

*1:映画館も換気設備を整えたりと、対策を強化して下さっていますが持病のことを考えてです。

*2:もちろん他のお客さんのマナー(例えば上映中に携帯電話をいじっていて、その画面の光が視界に入って気になる)などは別の話にしておきます。

*3:勤務時間外なので…もちろん重要な連絡な場合もあると思いますが、5年ほどレイトショー通いをしていた木暮に来た連絡の全てが次の日で事足りるものでした