やおら日記

日々のあれこれを なんやかんや書いているナマケモノ日記

Uber Eatsのような働き方で思ったこと

Uber Eatsのような働き方

先日、Uber Eatsで思いの外感動した話として、ブログを書きましたが、そのブログ内で書こうと思ったことを書き漏れてしまっていましたので、今回はその話を番外編的に書いていきます。

 

※書き終えてみて、愚痴の部分が増えてしまいましたので、悪しからず。時間に余裕のある方はご覧ください。

 

 

 

 

Uber Eats的な働き方への憧れ

Uber Eatsの配達業務では、同僚がいないという点が、他の働き方と異なる部分であると考えています。

もちろん、個人事業主の方々も同様の働き方ですが、今回はUber Eatsをはじめとした、「個」の働き方に注目していきます。

 

以前、何度か書いていますが、私は喫茶店などでの接客業経験者です。アルバイトという雇用形態でしたが、お店での接客業務なので

  • 対お客さん
  • 対同僚

の関係性の中で働きました。

また、新卒入社の会社は、オフィスでの仕事だったため課や部に属し、所属長を筆頭に、上司や同僚との関係の中、業務を行なっていました。

 

しかし、Uber Eatsをはじめとした個人事業主のほとんどは、同僚がいない環境で働いていると考えます。個人事業主個人事業主が同じプロジェクトを同じ場所で遂行する場合もあると考えますが、今回はその例は一旦省きたいと思います。

 

それでですね、この項目のタイトルにあるように、私はこの「個」の働き方に憧れがあります。新卒で働いていた職場から転職を考えた際に、個人で働きたいという思いがありましたが、なにしろ自分にスキルがないという理由から、断念しました。

その思いは未だに捨てられませんが。

 

感情労働」からの乖離・脱却の願望

ではなぜ、私が「個」の働き方に憧れを持ったのかというと、これには一言、「社会不適合者」の気質が強いというところにあるのですが、それを踏まえた上で、「個」の働き方への憧れについて話したいと思います。おそらく今から書くことは、読んでくださった方の中でも共感していただける部分があると思います。では早速。

 

これまで新卒後に働いてきた職場で、何個か納得がいかない部分があり、それを未だに飲み込めずにいます。

いくつか事例をあげますね。

 

  1. 上司・同僚のご機嫌伺い (説明は省きます)
  2. 新入社員への雑用押し付け
  3. 服装等に対する必要以上の干渉
  4. 時間的拘束の美化(定時という概念の欠如)
  5. どちらでも構わない(問題ない)ことの訂正

上記5点が主に飲み込めない部分です。

 

以下、2以降の若干の説明です。

 

2.新入社員への雑用押し付け

これは、何から雑用に入れるのかによりますが、私が新卒の時に納得ができなかったのは、観葉植物の水やりです。これは、会社所有の観葉植物ではなく、上司個人の持ち物の観葉植物で、上司が出社するまでに水やりをしないと、怒られました。そして、その上司の出社は、始業の1時間以上前だったので、最低でも始業の1時間半前には出社していないといけず、本当に嫌で嫌で仕方ありませんでした。

 

3.服装等に関する必要以上の干渉

服装「等」ということに注目していただきたいのですが、服装では上司の指定した色のジャケットしか使用できない、靴も上司の好みに合わせなければいけないなど、細かな規則がありました。上司の好み通りの服装にしようと思うと、新入社員の給料では追いつかないのが現状で、色々な意味で苦しかったです。また服装以外の干渉だと、お昼ご飯は何を食べるのか、休みの日は何をしているのか、友人にはどんな人がいるのかなど、質問しては説教し、質問しては説教し、の繰り返しで、辟易していました。

 

4.時間的拘束の美化(定時という概念の欠如)

これは、項目2にもつながりますが、1時間半前に出社し、上司の観葉植物に水やりをし、定時になると、所属長が許可を出すまで帰れない。また、所属長が許可を出さずに先に帰った場合は、他の人の許可をもらわないと帰れない。という慣例が、新卒入社の会社にはありました。その日どうしても歯医者があるから、定時で帰りたいという場合でも、3〜4週間前に申請を出して許可をされないとダメでした。

理由は、新入社員は入社後「やる気」をアピールするためにも、他の人より早く出社し、遅く帰らなければならないという暗黙の了解があり、それに従わないと成績に響くということから、仕方なく実行していました。

 

5.どちらでも構わない(問題ない)ことの訂正

この項目は、他のすべての項目にも当てはまると思います。

新卒の時の職場には資料棚があり、そこにあった顧客の過去の見積書を綴じたファイルに、案件ごとに毎回最終見積書を綴じていました。そのファイリングの際に、私はファイルを手にとってから手元の最新見積書に穴を開け、ファイリングしたのですが、その時の上司からは、「まず手元の資料に穴を開けてから、ファイルをとるのが常識だろう」ということでお叱りを受けました。もう、お分かりかと思いますが、

 

どっちでもよくね?!

 

お叱り受けるほどのことか?!

ということですね。

 

こういうことが積み重なり、新卒の会社を辞めたのですが、正直、自分の感情を押し殺して働くしかなく、毎日屍のように出社しては仕事をして、帰っての繰り返しでした。

誰しも、働いていると、感情を押し殺さないといけない場面がありますが、それも何年も続くと、友人と遊んでいても楽しいという感情がなくなるんですよ。

せっかくの日曜の休みに、友人と前から行きたかった店でご飯食べてても、案の定「ああ、明日からまた仕事だ」とか「またあの上司の説教を聞かないといけないのか」とか色々と頭をよぎってしまうところまできてしまうんですよね。

そういう経験や、実際に仕事をしていて、なんで仕事(業務)外のことで悩んで、仕事に支障が出てるんだろうかと考えるようになりました。これが、私が「個」の働き方が気になり始めたきっかけです。

 

どうでもいいルールが多くて、仕事に集中させない職場って、案外多いんですよね…

 

感情労働」に関して

この「感情労働」という表現は、日野瑛太郎さんの「脱社畜ブログ」で先日初めて目にして知った言葉です。主に職種は接客業を中心にしているのですが、普段の私の仕事は接客業ではありませんが、顧客と対峙している時は特に、感情労働寄りの場面が多く、今の日本ではほとんどの職種が「感情労働」に属するのではないかと思っています。その場合、また定義は変わってくるとは思いますが、一旦自分の考え(思い)として書いておきます。

そして、その感情労働に関して考えたいと思いましたので、前述のブログの日野瑛太郎さんの書籍も読みたいと思います。

 

 

 

 

 

 

ここ最近、読みたい本を各記事にちょっとずつ書いていますが、いずれ読みたい本Part1に書いた本が消化したら、再度リスト化します。

 

労働への希望・要望(接客編)

接客業等の経験者なら、理解して頂けるのではないでしょうか。

厄介なお客さんの多さを。

厄介なお客さんの多くは、お店に来た時点でどこか虫の居所が悪いのですが、そんな中、店内の混雑から店員が他の業務を遂行していて、その時の表情が真剣な顔(笑顔ではなかった)ことから、クレームをタラタラ述べられることもあります。

 

「あの店員、無愛想だから辞めさせなさい」

「注文したものを持ってきたときに笑顔がなかった」

「世間話をしたかったのに、対応してもらえなかった」

 

などなど。こういうクレームを受ける店員って、誰かに偏ることもありますが、大抵はどんなに接客態度が良い人でも、言われています。(私調べですが)

無愛想・笑顔がなかったという点って、受取手の感覚次第だと思うんですが、そうは言えないので、一旦その場では「申し訳ございません。今後はこのようなことのないように云々」という決まり文句で謝罪をします。

正直、こういうクレームの人に限って、メニューにない注文をしたがったり、無理な注文をして、「こちらは客なんだ」という風に立場を振りかざす人が多いように記憶しています。以前の経験では、メニューにない注文をした場合に、真剣な顔で「それはできません」という旨を伝えたことで、不機嫌になり、クレームに繋がったのですが、どこまでわがままに生きてきたらそんな考えになるのかと疑問に思った記憶があります。

 

もちろん、クレームとは無関係の優しいお客さんもいましたので、接客業は一概に苦しいとは言えませんが、クレーム客のせいで感情労働は最悪の局面を迎えているのは事実です。

 

クレーム客からみると、接客業で働いている人は、笑顔であるべきという希望が強いのではないかと考えます。希望というか幻想ですね。接客業でも、真剣な顔で仕事をする場面があります。何度説明してもわからないお客さんには、笑顔で説明する以前に「ものを伝える」ことが目的なので、笑顔を二の次にすることもあります。状況によりけりです。

 

正直なところ、そういう自分勝手な幻想を、目の前の店員に押し付けることは、やめていただきたいです。

 

接客のプロはおそらくこんなことは思わないのでしょうけど、今の日本の接客業に携わっている人の多くは、プロではないです。プロの接客を受けたいのであれば、それ相応のランクのお店にいくべきだと思うのが本音です。

 

この記事を読んで、プロ意識をもって接客をしていた方には申し訳ありませんが、これまで多少なりとも接客に携わった身から言わせていただくと、このようなブラックな言葉が出てしまいました。

私の考えのような考えで接客をしていない人もいると思いますので、私の意見が接客業すべての意見ではないということをここに書かせていただきます。

 

 他者への想像の欠如

これまで述べてきました、新卒の時の会社(上司?)のルール、接客業に対する幻想に共通しているのは、他者へ対する想像の欠如からくるのかなと思います。

 

他者(部下)が今、何が本当に足りないのか。それは観葉植物に水やりをすることで、得ることができるのか。

接客業だから笑顔がないとダメだ、というルールは誰が決めたのか。お客だからという理由で、店員に暴言を吐いてもいいのか。

 

ここでいう想像の欠如とは、上記のようなことへの想像です。

 

「常識」という言葉が先走り、上記のような想像に至っていないのではないでしょうか。

 

○○なのは常識だろう!そんなこともわからないのか!

 

という言葉は、思考停止への道に通じるものだと思うんですよね。

常識は、個人個人で変わってきますし。

 

まとめ

あれっ?Uber Eatsから話が脱線して、今の感情労働の話に飛躍してしましました…

では、まとめの項目で、Uber Eatsのような「個」の働き方に関して考察したいと思います。

 

ここまで書いてきた、現代の感情労働に関してですが、Uber Eatsは、今となっては非対面受け渡しで、利用客と直接のやりとりをすることは以前よりは減ったのではないでしょうか。

しかし、Uber Eatsが感情労働から離れているとは言えませんが、同僚や上司のご機嫌伺いからは、少し離れた位置にいるのではないかと考えます。

また、何より「働きたいタイミングで働くことができる」「自分の裁量で、仕事の方法は大枠に沿っていれば決めることができる」という点は、普通に働いているより、有意義な働き方だと思います。

 

そういった点、Uber Eatsは個人がある程度尊重されているように感じます。

しかし、この考えには大きな抜け穴がありまして。

それは私がUber Eatsで働いたことがないという点です。

なので、今回書いたブログは、想像の部分が多いです。そして以前の職場の愚痴が大半を占めました。

 

なので、以後「個」の働き方に関しての知識をインプットしていきます。またその頃には、Uber Eatsに関する考えが変わっていたり、Uber Eats以外の働き方に注目しているのかもしれません。

 

今回のブログは雑記になってしまいましたが、今後のブログもよろしくお願いいたします。