唐突に書評とは関係のない記事を書きますが、ふと思ったことを備忘録的に書いていきたいと思います。
※この記事は終始ふざけています。虚無のときにご覧いただくことをおすすめします。
なぜパセリについて考えたか
以前飲食店でアルバイトをしていたとき、そのアルバイト先が喫茶店だったこともあり、サンドイッチやスパゲティの付け合わせにパセリが必ず添えられていました。しかしそのパセリ、調理場では常に流水をかけられ、新鮮な状態をキープされていましたが、お客さんのところに運ばれても結局はほとんど残され処分されていたのです。
昨今の「食品ロス」問題にちなんでというわけではないですが、アルバイト時代にそのパセリを捨てるのが忍びなかった記憶が、先日ふと蘇りました。
職場の新年会時のことでした。料理の付け合わせでパセリがお皿にのっていたのですが、そのパセリたちは結局取り残され次々とくる料理と交代でどんどん消えていき、また新たにパセリがきて、また去っていくということが続きました。
上司の意味不明な自慢話などを聞きながらずっとテーブルの上のお皿に目をやっていると、テーブル上の移り変わるお皿に交代交代でやってくるパセリをみているうちに、「パセリの人生、セミより儚い」という言葉が頭に浮かびました。
その結果、思わずこうやってブログの記事として書くに至ったというわけです。
付け合わせパセリの意味
実は「パセリの人生」について考えたのは、今回が初めてではありません。
アルバイト時代に厨房の人に思わずパセリを付け合わせる理由を聞いたことがあります。
その時厨房の人は
- 解毒作用もあるため、ナマモノがあるときに付け合わせる
- 香りづけや口直しのため
と言っていました。
パセリに解毒作用があることはその時に初めて知り、その後付け合わせのパセリがある時は食べるようになりました。
しかし一部例外があり、どうしても大皿での料理の時の付け合わせパセリは、誰の箸がついたのかわからないという理由で、若干潔癖症の入っている私は手をつけることができません…。なので新年会の時に起こっていたパセリの儚い人生の終わりには、私にも十分な責任があると思っています。
(何を言ってるのか自分は…)
パセリの人生について考えた結果
なんだか結論などに至らないのですが…
このパセリの人生について考えるのは嫌じゃないのは事実です。
ただ、パセリの気持ちが実際どうなのかわからないので、なんとも言えませんが、パセリには幸せな人生を歩んで欲しいと思います。
また、ひとこと言えるのは、食べ物は粗末にしたくないということです。
最後にもう一点、今回のブログでは大分ふざけましたが、おそらくまたパセリの人生についての記事を書くと思います。
その時は、パセリ農家さんを含めてパセリの人生を語りたいと思います。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
そして時間を無駄にしてしまったと思われましたら、心からお詫び申し上げます。